本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 如来蔵 」

2012-09-06 22:15:26 | 住職の活動日記

 「 如来蔵 」  ( にょらいぞう )

ということが仏教いわれています。

 「 蔵 」 という字は仏教の中ではよく出てくる言葉です。

お寺の名前にもよく使われます。

 「 本蔵院 」 とか 「 南蔵院 」  「 宝蔵院 」 という名前もあります。

それから、人間の心で一番深い心、

人間のしたことをすべて、静かに記憶していく意識があります。

「 阿頼耶識 」 ( あらやしき ) といいます。

アラヤとはインドの言葉ですが訳すると 「 蔵 」 という言葉に当たります。

ですから、阿頼耶識のことを 「 蔵識 」 ともいいます。

 

 人間は自分の中に ほとけさま 「 如来 」 を蔵している

ということで、 「 如来蔵 」 といいます。

 今朝読んでいる中で、この言葉に出会いました。

 

  「 我々は、どんな力を持っているかということは、

    自分で決めるわけにはいかない。

    私はあきません、というようなことは

    越権なんです。

    私は駄目だということは、

    どこにそんな判断を下す権利があるのか。

    それがもうはや、すでに間違いです。

    それは、自分が自分を所有していると思うから、

    私はどんなものであるかということは、

    私の判断では決まらんのです。

    私は偉いもんだ、といういい方は、

    まだ、そう偉くないんだという具合に、

    反省することができるけど、

    私はあかん者だというのは、もっと悪い判断です。

    わしは駄目な者だということがですね、

    それは冒涜に近いです。

    自己冒涜というようなものです。

 

    実は、

    人間には、人間の分別では

    分別できないような、

    大きな何かを持っているのです。

    それを 「 如来蔵 」 というのです。 

 

 

 心が挫けそうになるとき、今朝の目の覚めるような一言でした。

思い出せば、

 よくこのことで、三浦先生に叱咤されたものです。

「 自分はもうあきません !! 」

 と、言おうものなら、烈火のごとくしかられました。

そのときはよく意味もわかりませんでした。

自分が自分に対して 「 駄目な者 」 ということぐらい、

大変な間違いはないということです。

 

 如来蔵、自分には仏さまがいらっしゃるから、

偉いもんだ、というわけでもないのです。

如来を蔵しているなら、

その如来に出会うための努力が必要、

修行ということが、死ぬまで修行

そういうことが大事になってくるのです。

 

 

 

 

 

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