仏教読みでは自然と書いて
「じねん」と読みます
普通の自然と区別する意味が
あるのでしょう。
以前広い境内を掃除している時
たくさんの楠木が生えている
春、秋二度も舞い散る
大量の落ち葉が大変でした
その時、
師匠の三浦先生、今週の言葉に
「自然法爾」という題で
「焚くほどに風がもてくる
落ち葉かな」
という言葉を書かれました
その時は何となく
なるほどというか、
わかったような
掃いても掃いてもまた落ちてくる
落ち葉との戦いのように
思っていましたが
成長していくことは新芽を出し
古い葉を散らす
それが自然の摂理なのです
先日の
朝日放送の60周年記念番組
まだテレビが入っていないという
ヒマラヤの標高4千メートルを超える
村に住む人々の紹介がありました
一応録画したのですが
その取材の旅も過酷で、
またそこで生活されている方も
厳寒のなかで生き抜いておられる
録画したもののあまりの厳しさに
ふたたび見るのも辛い感じです
その中で
取材の年は寒さも厳しく
飼っている羊やヤクが
たくさん死にました
寒さに強いというヤクでさえ
死んでしまうのです
羊の子もたくさん死にました
雪と氷の世界で
わずかな牧草を求めて
山の下の方へ降りていく
しかし、そこだけで食べつくすと
次の年には生えなくなる
少し食べては場所を移動する
その時、村の人は
「自分は学問もないが
牧夫として誇りを持っている」
と答えておられました
その顔は自信に満ちていて
自然には逆らえない
自然を受け入れて
自然と共に生きていくしかない
とも話されていました
寒さで死んでしまった
その事実を受け入れ生きていく
何かしら生きるということの
原点というか力強さのような
これが生きていくことなのか
ということを思い知らされました
しかし、そのドキュメントは
それだけではなく
村の祭のあかるさも
ディレクターの方が美味しそうに
ほおばる、その表情を見て
周りの人たちから笑いが起こる
その表情が何ともいい
私たちが忘れていたような
自然な笑い顔です。
また宗教心に篤く
断食をしてひたすら経を唱える
そして、
正月とかの行事も
仏教の行事に通じるような
日本に伝わった
その原点を見るようで
とても興味深いものでした。
自然に抗う(あらが)こともなく
自然を受け入れ
自然と共に生きていく
そのことが自然(じねん)
なのではないかと思いました。
あの強烈な環境
4千mという酸素が薄い
そして厳寒の世界
そこで生きるということは
自然に逆らうことなど
到底できないし
自然に対してひれ伏し
畏敬の念をもって見るしかない
そいう世界で生きるのは
本当に拝まずにはおれない
ということなのです。
東日本大震災があって早9年
日本は昔から自然の驚異に
さらされてきました
人間が本当に生きるという
意味を自然を前にして
考え直さなければならないと
思います
亡くなられた方々のことを
思い直し
その事によって日々の祈りを
忘れてはいけないと思います。
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