「一念」も「刹那」
も時間の単位です
それも短い時間の単位
長い時間の単位は
「劫」(こう)というのが
あります
一里四方(立方体)の石に
百年に一度天女が舞い降り
踊りを踊るという
その石が擦り減って
無くなったのを一劫と
いうのです。
まあ
インドの人はこういう
長い単位の時間を
考えるものです。
その反対が一念と刹那
念という字は時間の単位
だけでなく、
憶念不忘の念、
深く心に刻んで忘れない
それから、念仏、念力
という意味もあります。
刹那とはクシャナという
言葉の音写で
念頃(ネンギョウ・一つの心を
起こす間)と訳します
倶舎論(クシャロン)という
お経から紐解いていくと
今の時間でいうと
一刹那は「0.013秒」
ということです。
そこから
一念ということを見ると
いろいろ説があって
一念は一刹那とか60刹那
また90刹那ともいい、
或は一弾指(イッタンジ)の
60分の1、
または400分の1を一念
というようです。
これから、講義では
時間の問題が出てきます
時間の問題は哲学でも
宗教でもとても大切なこと
なんです。
お釈迦さまも
いつ出家して、
いつ成道して、
いつ涅槃に入られたと
時ということが
示されています。
それから、
時間は心によって作られる
ともいいます
楽しい時間はあっという間
に過ぎ去ってしまい
仕事とか講義を聞く時間は
とても長く感じるものです
時計の時間は
同じなのですが
感じる時間は違ってきます
講義では
「去る時また起こし、
住する時また起こし、
坐する時また起こし、
臥する時また起こし、
乃至睡眠皆よく道を
起こす。と
道の心を起こすと。
一念も心に捨てんと、
菩薩が道心を起こす時
一念もその道の心を
捨てない、と
こういうのです。」
と出てきます。
一念も捨てないというのは
思い続ける、
寝ても覚めても忘れない
行住坐臥そしてまた
寝ている時も道心を
忘れないというのです。
そこから、
時間ということの話が
展開していきます。
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