「厭離穢土・欣求浄土」
徳川家康の旗印でもあります。
戦国の世にあって、
一日でも早く戦の日々を終わらせ
平和な世を願っての家康の
思いを込めた言葉でしょう。
この世を厭い離れ、
浄土を希(こいねが)う
という意味です。
家康は日課念仏を書き綴り
それが大きな掛け軸にもなっています。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
と詠んだ織田信長
鳴かぬなら鳴かしてみせよう
ホトトギス、と詠んだ秀吉
鳴かぬなら鳴くまで待とう
ホトトギスと詠んだ家康
そこに
それぞれの性格というか
生き様、人生観があるように思います
お釈迦さまのさとりの内容は
「人生は苦なり」
ということです。
以前、三浦先生からも
よく聞かされました。
その時は、
悟りとはもっと素晴らしい
ものではないのか?
という具合に思っていました。
しかし、最近思うのは
人生は苦なりと感じたのは
そこにはすでにさとりが
あるということではないのか
ということです。
私たちが思うのは
人生楽ありゃ苦もあるさ
全部が苦ということではなく
苦楽相半ば、と思っています。
お釈迦さまのように
一切皆苦、すべてが苦だとは
とうてい思えないのです。
ですから、
人生は苦なりと実感した
ということは
そこにはさとりの兆しが見えてきた
ということでしょう。
最近よく、NHKのテレビを見ます
民放よりもとても充実したものが
あるように思うのです
眠れないこともあって
つい最近
「72時間」という番組でしたか
24時間の喫茶店とか
長距離トラックのスーションとか
生地屋さんとか
そこに72時間張り付いて
色々な方の取材をするのです
本当に様々な人生に驚かされたり
共感したり、
どの生き方も素晴らしいと
思わざるを得ません。
以前息子が歌手になりたいと
困ってしまって
三浦先生に息子を連れて相談すると
その返事が、
それはいい! おおいにやりなさい
あなたならできると
思い止めてくれるかと思いきや
えらく息子を応援されて
途方に暮れていると
あとで、心配いりませんよ
ちゃんと戻って来るから
落ち着いて見守ってあげなさい
ということでした。
この頃見ていると
人生はそれぞれあるのだな!
ということです
どれが良くてどれが駄目
ということはありません
それぞれに素晴らしい人生
だと思います。
お釈迦様がさとりを開かれた時
さとってみたら
自分が一番遅かった、と
みなそれぞれ仏さんではないか
世の中は光り輝いていると
そういう風にご覧になった
ということも書いてあります。
お釈迦様のある瞬間の心境でしょう
さとり、さとり、ということだけに
注目するということではなく
自分の苦ということがわかれば
そこにさとりはある
生老病死ということでも
他人事ではなく
自分の事として受け止めたら
案外明るく受け止めれる
「72時間」の番組で
生地屋さんに訪れた女性
大きなマスクに深々と被った帽子
長いコートを着て
インタビューを受けられると
癌の治療中だとか
しかし、
生地からものを作っていく喜び
そのことを知りました
ガンになって初めての経験です
この病気になって本当に生きる
ことを知りました。
ガンに感謝です。
と答えておられました。
一見すると変な風采
しかし、
その中身は生きることに喜びを
感じておられる。
明らかに見て
受けとめることができたら
事実は明るいのでしょう。
ただただ
浄土を希うというのではなく
本当にこの世の姿が見て取れて
事実が解れば
自ずと浄土ということが
明らかになってくるように
思うのです。
「人生は苦なり」
ということの発見こそが
本当は素晴らしことと思います。
本当に苦と分かれば
それは大きな歓喜ということでしょう。
そこから一歩が始まるのです。
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