野心はひとつの悪徳なるも
それは美徳の父ともなり得る
( 煩悩即菩提 )
ぼんのうそくぼだい
『 それは君の野心ではないかね 』
と、ある先生から言われずいぶんと悩んでおられました。
悩んだ末 もう一度聞きなおされました。
『 先生、野心はいけないのでしょうか? 』
するとその先生はすかさず、
『 野心がなくて何が出来るか!
私的野心が公になったとき、それを菩提心と言うんだ 』
と、おっしゃったことを思い出しました。
野心と言うことも私的であればそれは自分を毒していくものでしょう。その私的
野心が世のため人のためとなったとき、それが仏の心である 『 菩提心 』 に
変わるのでしょう。
ここが微妙なところで、野心と菩提心と二つあるのではなく、ひとつの心が、
自分のためなのか、 FOR OTHERS ( 他のために ) なのか
という一点で180度方向性が変わってくるのです。
仏への方向なのか、地獄への方向なのか、ということが問題なのです。
普通は、悪い心を取り去って、良い心を持ってくれば、と思うのですが、
そうではなく、どっちの方向を向くかが大事なのです。
それは美徳の父ともなり得る
( 煩悩即菩提 )
ぼんのうそくぼだい
『 それは君の野心ではないかね 』
と、ある先生から言われずいぶんと悩んでおられました。
悩んだ末 もう一度聞きなおされました。
『 先生、野心はいけないのでしょうか? 』
するとその先生はすかさず、
『 野心がなくて何が出来るか!
私的野心が公になったとき、それを菩提心と言うんだ 』
と、おっしゃったことを思い出しました。
野心と言うことも私的であればそれは自分を毒していくものでしょう。その私的
野心が世のため人のためとなったとき、それが仏の心である 『 菩提心 』 に
変わるのでしょう。
ここが微妙なところで、野心と菩提心と二つあるのではなく、ひとつの心が、
自分のためなのか、 FOR OTHERS ( 他のために ) なのか
という一点で180度方向性が変わってくるのです。
仏への方向なのか、地獄への方向なのか、ということが問題なのです。
普通は、悪い心を取り去って、良い心を持ってくれば、と思うのですが、
そうではなく、どっちの方向を向くかが大事なのです。
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