本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

教化と教育

2023-02-26 20:24:22 | 十地経

教化(きょうけ)

ということがでてきます

これは教導化益

(きょうどうけやく)

ということで、

教えを説いて衆生を導き

めぐみを与える、

ということです。

 

「どういう世界の

どういう衆生を、

どういう道によって、

どういう乗(じょう)に

置くかと、こういうことが、

これによってこれに

答えることによって、

衆生を成就するってことが

あるんです。

つまりこれは広くいえば、

教育ですね。

 

こんな大きな問題があった

んですね。

やっぱりこれは教育と

いわずに教化というんです

けど、これは

教化というのは

根本的には教育なんです。

やっぱり教化という根底に

教育ということが成り立つと

思うんです。

色んな能力を引き出す

というのが教育ですね。

いうならば学校教育ですが、

今はいわゆる人間教育ですね。

 

人間を完成するという。

そういうものは

教育といわずに教化と

言われていますが。

というのは、

それは子供を大人にする教育

じゃないからです。

人間を失っとる者をして

人間を回復せしめるから、

教化。

子供を大人にするという教育

じゃないんだ。

 

人間を完成すると、

本来の人間に完成すると。

根本的教育ですね。

それをやっぱり

教化という字を使うわけです

 

何等の衆生を利益するのかと

菩薩は修行して。

衆生利益の修行です。

つまり一切衆生を成就する

という方法を通して

自分も成就しようと、

こういうのが菩薩です。

 

こんなこというと、

何のことか分からんけど、

公生活、私生活というのなら

公生活をもって私生活年とる

と、こういうわけや。

公生活をもって私生活と

すると。

一切衆生を成就する方法を

もって自己を成就すると、

こういうのがまあ菩薩道です

 

まあいうたら、

こういうのが非常に面白い

と思うんです。

楽屋裏を持たんというのです

私室を持たんと。

これはなかなか容易でない。

口で言えば何でもない話

ですけどね。

 

公私ってことは、

絶えず混乱するものでしてね

社会生活が非常に困難だ

というのは、

そういうところにあるんです

公私の区別があるけど、

また公私を混乱する。

 

公私の区別がありつつ、

しかも公をもって私となすと

これはなかなか

容易でないんですね。」

 

お寺では特にそうですが

公私混同ということが

大きな問題です

特に注意が必要です。

 

三浦先生も

こういう話しがあって

でしょうか

校長室を持たれなかった

事務所の一角に校長の机が

あったのです。

「みずすまし」という

あだ名がついたほど

机に座ることなく

こまめにあちこち動いて

雑用をこなしておられた

ようです。

 

お寺の運営についても

厳しく公私混同を

注意されましたものです。

廃れるのも発展するのも

公と個人の分水嶺が

混乱してくるからです。

 

安田先生も常に

教育ということが頭にあって

宗教の実践は教育だと

いうことを仰っていました。

教化、教育ということも

大切な問題です。

 

 

 

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