お参りのとき、この言葉を思い出しました。
『 開神悦体 』 かい じん えっ たい
「 神 」 はゴッドの神ではなく、東洋では 「 心 」 ということを
表します。
ですから、心を開けば、身体が喜ぶ、ということになると思います。
昨日のお不動さまにお参りされた方々の、お顔が浮かび、この言葉が引っかかったのでし
ょう。心が解放されると、身体、顔つきも自然と変わってくるものですよね。
心に小骨が刺さってていると、何か気になることが、どうしても顔に出ます。
また、こういう言葉もあるようです。
心喜 ( しんき ) ・ 体喜 ( たいき ) ・ 根喜 ( こんき )
喜びの段階も、先ずは心が喜び、そして、うきうきと身体が喜ぶ、
最後は、心も身体もその人自身がすべて歓びで充たされているという根喜。
仏教は人間のいろんな側面を実に、見逃すことなく、分析しているのですね。
ですから、まだまだ、経典の言葉の中には宝石のような言葉がちりばめられていることと
思います。
朝の、短い時間、忘れぬうちに、書いておきます。
『 開神悦体 』 かい じん えっ たい
「 神 」 はゴッドの神ではなく、東洋では 「 心 」 ということを
表します。
ですから、心を開けば、身体が喜ぶ、ということになると思います。
昨日のお不動さまにお参りされた方々の、お顔が浮かび、この言葉が引っかかったのでし
ょう。心が解放されると、身体、顔つきも自然と変わってくるものですよね。
心に小骨が刺さってていると、何か気になることが、どうしても顔に出ます。
また、こういう言葉もあるようです。
心喜 ( しんき ) ・ 体喜 ( たいき ) ・ 根喜 ( こんき )
喜びの段階も、先ずは心が喜び、そして、うきうきと身体が喜ぶ、
最後は、心も身体もその人自身がすべて歓びで充たされているという根喜。
仏教は人間のいろんな側面を実に、見逃すことなく、分析しているのですね。
ですから、まだまだ、経典の言葉の中には宝石のような言葉がちりばめられていることと
思います。
朝の、短い時間、忘れぬうちに、書いておきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます