熊本城の横を通るたびに
銅像が建っていることは気が付いて
いたのですが、
恥ずかしながらそこへ行ったことは
なかったのです。
ちょっと前の京都新聞に、
日本近代史家・渡辺京二さんの
記事が載っていました。
渡辺さんは熊本在住で、
この記事でこの銅像のことを
知ったのです。
立ている方が横井小楠
左端で立っている人が坂本龍馬
その右で坐っている人が勝海舟
小楠のの右は松平春嶽・細川護久
ということです。
あまりテレビドラマでは
横井小楠という人は出て来ませんが
勝海舟の言葉に
「俺は今までに天下で恐ろしい
人物を二人見た。
それは横井小楠と西郷南洲だ。
横井の思想を西郷の手で行われたら
敵うものはあるまい。」
とあります。
坂本龍馬とも親交があり
小楠の自宅・四時軒を訪れています。
龍馬は勝海舟の命令で、
神戸海軍操練所への資金援助を
依頼するために、
小楠にを通して松平春嶽に会い
春嶽から五千両の資金援助を
受けることができたのです。
見つめ合っている勝と龍馬
真中に地球儀
世界のことを論じて
龍馬は勝先生と慕ったのです。
ところが、
小楠が長州藩の非を断じ、
征伐の正当性を主張しますが
それに龍馬は反論し
それがもとで訣別しています。
新聞の渡辺京二さんの記事も
とても面白く、
なるほどと頷くことばかりです。
記事には、
「列強による帝国主義の時代、
日本がそれに加わるのではなく
『東洋道徳の道』に基づく
国家像をイメージしていました」
と中島館長。
横井は請われて新政府の参与と
なったが暗殺される。
もし、生きていれば、
大久保利通らが進めた富国強兵
中央集権体制とは違った、
富国有徳の国家を目指したかも
知れない。」
とあります。
そして、
「明治政府が残した一等国願望、
国家主義の尻尾をもう引きずる
必要はないはずです。
このナショナリズムをそろそろ
卒業しなければ、
戦争に負けた意味がないのでは
ないでしょうか。」
と結んでおられます。
とても考えさせられる問題です。
松平春嶽と細川護久
春嶽は小楠より20歳も若い
さらに細川護久はさらに10歳も
若い。
師と仰ぐ小楠を見つめています。
「イフ」日本に別の道が
暗殺されなかったら
日本の方向も変わっていたかも
知れません。
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