朝からは 昼になって
夕方には てきました。
近代の我々は晴れはよくて、雨はなんか鬱陶しいもののように感じるようですが、
「 水 」 の恩恵を忘れた、私たちが都合よく考えるからなのでしょう。
雨の中、若いカップルがお参りにお見えになりました。静かに手を合わせて、焼香をし
て、わからぬお経をじっと聞いておられます。
夕方、雨が上がり、外に出ると、本荘小学校の桜にたくさんのメジロたちが、咲きはじ
めた桜の花に群がっています。
『 空海の映画 』 を思い出しました。空海が中国へ向かう途中、難破されます。
嵐の中で、「 雨になれ、風になれ、… 」 と叫ばれる一節があります。
そして、五大の真言 「 キャ・カ・ラ・バ・ア 」 と唱えられます。
なんか理屈ではなく、そのものが自然に スト~ン と入ってくる。自分の都合で、
物事を見るのではなく、雨も、風も、天気も、すべてが 「 はたらきそのもの 」 と
して、心の中に入ってくる。
それが大事なのではないか
若いカップルもお寺という場所、空間に身を置く、わかるとかわからないとか、を
越えて、その場に身を置く。
雨が降り、お天道様が顔を出し、風が吹き、鳥たちが花の周りを飛び回る、そこには
人間の計らいを超えた 『 離言の法性 』 ( りごんのほっしょう ) というので
しょうか ? 【 言葉を越えた、はたらきそのもの 】
あたりまえのことなのに、とても、大変なことのように感じました。
なにかわかりませんが ただただ
夕方には てきました。
近代の我々は晴れはよくて、雨はなんか鬱陶しいもののように感じるようですが、
「 水 」 の恩恵を忘れた、私たちが都合よく考えるからなのでしょう。
雨の中、若いカップルがお参りにお見えになりました。静かに手を合わせて、焼香をし
て、わからぬお経をじっと聞いておられます。
夕方、雨が上がり、外に出ると、本荘小学校の桜にたくさんのメジロたちが、咲きはじ
めた桜の花に群がっています。
『 空海の映画 』 を思い出しました。空海が中国へ向かう途中、難破されます。
嵐の中で、「 雨になれ、風になれ、… 」 と叫ばれる一節があります。
そして、五大の真言 「 キャ・カ・ラ・バ・ア 」 と唱えられます。
なんか理屈ではなく、そのものが自然に スト~ン と入ってくる。自分の都合で、
物事を見るのではなく、雨も、風も、天気も、すべてが 「 はたらきそのもの 」 と
して、心の中に入ってくる。
それが大事なのではないか
若いカップルもお寺という場所、空間に身を置く、わかるとかわからないとか、を
越えて、その場に身を置く。
雨が降り、お天道様が顔を出し、風が吹き、鳥たちが花の周りを飛び回る、そこには
人間の計らいを超えた 『 離言の法性 』 ( りごんのほっしょう ) というので
しょうか ? 【 言葉を越えた、はたらきそのもの 】
あたりまえのことなのに、とても、大変なことのように感じました。
なにかわかりませんが ただただ
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