何かがあると、お見えになる方がいらっしゃいます。
「 いつもはご無沙汰で、すいませ~ん ! 」
しかし、『 何か 』 というとき、
それはただ事ではないのです。
今日も話しても話しても尽きないほど、お互いに話が出てきます。
年格好も同じくらい、
お互いにその苦労がわかり合えるからかもしれません。
気がつくと、数時間が過ぎていました。
7年前も、
「 温泉を掘っているのですが、どうも出そうにありません。
どの場所がいいでしょうか ??
御祓いをお願いします。」
ということで、その場所まで出かけて御祓いをしました。
やはり皆さん方の念じる力は凄いもので、
「 一念岩をも通す ! 」
ということでしょう。
なんと、温泉が出たのです。
しかし、その途中のご苦労、ご心痛は並々ならぬものがあったと思います。
一回目の失敗で数千万が あっ あ~ あっ
と消えていったそうです。
( 比べるわけでもありませんが、このときは神社だったとか ?
といいつつも 『 比べてるやないか ! 』
といわれそうですが )
新たに 『 御祓い 』 した場所も
700メーターまで、行ったところで …
どうするか とても、 悩んで 悩んで …
話は、変わりますが、 …
今読んでいる 『 十地経講義 』 ですが、
初地は 『 初歓喜地 』 ( しょかんぎじ ) といって
「 歓喜 」 という喜びが、人間を仏道に駆り立てるのです。
歓喜のないところには 「 物事 」 は成り立ちません。
ところが、だんだん修行を重ねていくと、煩悩の構造もわかり、
煩悩対治というところまでこぎ着け、悟りも見えてくる、
( 鬼退治のときは退治と書きますが、煩悩は 「 対治 」 と
区別します。)
すると、これで 「 もういいか 」 と、
「 空 」 というところに腰掛けてしまうのです。
それが、第7番目の 『 七地沈空 』 ( しちじちんくう ) というところです。
ここがやはり、大きな難関なのです。
( 温泉を掘るということも 「 7 」 というところが
難関なのでしょうか ? 700メーター )
ぬるくて、少々濁ってはいるけど温泉は出る、
軍資金の問題もある し ???
やはり、一番の難関なのでしょう
「 ま~ 温泉には違いないが、これでいいか~ 」
それとも、更に進めるか
『 十地経 』 では、 これが 『 第七地 』 を越えると
第八番目が 『 第八不動地 』 という、ところになってくるのです。
そこに 、 「 諸仏の激励 」 ということがあります、
やはり一人では越えられない、
「 諸仏が腰を据えるな ! 」 と、激励をする
そこで、更にまた 「 自分も覚悟をする 」 のです。
そして、もう心がフラフラせんという 「 不動心 」 が芽生えてくる
温泉を掘るということも、ここの覚悟の一点が一番の難関なのでしょう。
十地経の 『 第十番目 』 が 『 法雲地 』 です。
腹が据わり、 「 1160 」 という数字になったとき
とても柔らかい清らかな温泉にたどり着いたそうです。
ばんざい バンザイ
人間の心の底に眠っている 『 仏心 』 は、それほど深い深い
ところに眠っているのでしょう。
そこを掘り当てるということは生半可な心では掘り当てることは出来ないのです。
今日は別のご相談だったのですが、
今更ながらそのご苦労と覚悟と決心、そのお心に触れながら
とても有り難い時間を過ごすことが出来ました。
『 十地経 』 と 『 温泉掘り 』
私にはとても別物とは思えないように感じました。
人によっては不謹慎な ! と叱られるかもしれません
ちょっと コマーシャルですが
ここの温泉のご紹介です。
『 野の湯 』 というお店です。
泗水町富納161-1 というところにあります。
本蔵院のお不動さまの 『 念 』 が入った温泉です。
「 いつもはご無沙汰で、すいませ~ん ! 」
しかし、『 何か 』 というとき、
それはただ事ではないのです。
今日も話しても話しても尽きないほど、お互いに話が出てきます。
年格好も同じくらい、
お互いにその苦労がわかり合えるからかもしれません。
気がつくと、数時間が過ぎていました。
7年前も、
「 温泉を掘っているのですが、どうも出そうにありません。
どの場所がいいでしょうか ??
御祓いをお願いします。」
ということで、その場所まで出かけて御祓いをしました。
やはり皆さん方の念じる力は凄いもので、
「 一念岩をも通す ! 」
ということでしょう。
なんと、温泉が出たのです。
しかし、その途中のご苦労、ご心痛は並々ならぬものがあったと思います。
一回目の失敗で数千万が あっ あ~ あっ
と消えていったそうです。
( 比べるわけでもありませんが、このときは神社だったとか ?
といいつつも 『 比べてるやないか ! 』
といわれそうですが )
新たに 『 御祓い 』 した場所も
700メーターまで、行ったところで …
どうするか とても、 悩んで 悩んで …
話は、変わりますが、 …
今読んでいる 『 十地経講義 』 ですが、
初地は 『 初歓喜地 』 ( しょかんぎじ ) といって
「 歓喜 」 という喜びが、人間を仏道に駆り立てるのです。
歓喜のないところには 「 物事 」 は成り立ちません。
ところが、だんだん修行を重ねていくと、煩悩の構造もわかり、
煩悩対治というところまでこぎ着け、悟りも見えてくる、
( 鬼退治のときは退治と書きますが、煩悩は 「 対治 」 と
区別します。)
すると、これで 「 もういいか 」 と、
「 空 」 というところに腰掛けてしまうのです。
それが、第7番目の 『 七地沈空 』 ( しちじちんくう ) というところです。
ここがやはり、大きな難関なのです。
( 温泉を掘るということも 「 7 」 というところが
難関なのでしょうか ? 700メーター )
ぬるくて、少々濁ってはいるけど温泉は出る、
軍資金の問題もある し ???
やはり、一番の難関なのでしょう
「 ま~ 温泉には違いないが、これでいいか~ 」
それとも、更に進めるか
『 十地経 』 では、 これが 『 第七地 』 を越えると
第八番目が 『 第八不動地 』 という、ところになってくるのです。
そこに 、 「 諸仏の激励 」 ということがあります、
やはり一人では越えられない、
「 諸仏が腰を据えるな ! 」 と、激励をする
そこで、更にまた 「 自分も覚悟をする 」 のです。
そして、もう心がフラフラせんという 「 不動心 」 が芽生えてくる
温泉を掘るということも、ここの覚悟の一点が一番の難関なのでしょう。
十地経の 『 第十番目 』 が 『 法雲地 』 です。
腹が据わり、 「 1160 」 という数字になったとき
とても柔らかい清らかな温泉にたどり着いたそうです。
ばんざい バンザイ
人間の心の底に眠っている 『 仏心 』 は、それほど深い深い
ところに眠っているのでしょう。
そこを掘り当てるということは生半可な心では掘り当てることは出来ないのです。
今日は別のご相談だったのですが、
今更ながらそのご苦労と覚悟と決心、そのお心に触れながら
とても有り難い時間を過ごすことが出来ました。
『 十地経 』 と 『 温泉掘り 』
私にはとても別物とは思えないように感じました。
人によっては不謹慎な ! と叱られるかもしれません
ちょっと コマーシャルですが
ここの温泉のご紹介です。
『 野の湯 』 というお店です。
泗水町富納161-1 というところにあります。
本蔵院のお不動さまの 『 念 』 が入った温泉です。
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