今日久しぶりに、ゆっくりと昼から夕方まで話しました。
たまに訪ねてこられる、同じお坊さんです。
私は自分が坊さんなのであまり坊さんが好きではありません。
この方は、いつも新鮮な問いを持ってこられるので、話が弾みます。
気になった言葉で、最近、『 保坂尚輝さん 』 という方でしたか、
熊本のお寺で得度されたとか、話題になりました。そのとき 『 在家出家 』
とか 『 出家在家 』 とかおっしゃってました。
こういう言葉もいつ出来たのでしょう。 『 除霊 』 という言葉も、今までなかっ
た言葉です。勝手な宗教言葉が氾濫してるようです。
『 出家 』 は 『 家出 』 とは違います。 字は似てます。行動も同じです。
家を出ることには違いないのですから。では、何がどう違うのでしょうか?
考えてみてください!
一つのヒントとして、
『 家出 』 は 『 不安になる 』 家を出て、生活どうしようかと。
『 出家 』 は 『 不安に立つ 』
不安になる、不安に立つ、なんか似てます。不安に立つ、チョッと聞きなれない言葉で
す。不安になんかに立てるか、と思われるでしょう。
ありがとう、という言葉も お経には
『 やがて死すべきものの 今いのちあるは有り難し 』
有ること自体が貴重なのだ、というんですね。
保坂さんもたぶん、得度の時、白い着物を着られたはずです。これは死を覚悟する、
ということです。死を背中に背負って立つ。死を自覚して生きる。
だから、のんきに生きてますが、不安に立つ、という生き方が事実を認識した生き方にな
ると思います。
そんなこと考えたら、とても明日から生きていけません。
まあ~、自分だけは大丈夫、と思って…、 なんとかごまかして、見ないように
一日を過ごします。
(人間は事実と、事実が大事と、よく言いますが、
本当は事実は見れないし、見たくないものなのですね。)
出家、という、不安を認識して、不安という立場に、しっかと立つ、
この方が、人間として、正直な生き方と思いませんか。
『 不安に立つ 』
これが、私の一生のテーマです。
たまに訪ねてこられる、同じお坊さんです。
私は自分が坊さんなのであまり坊さんが好きではありません。
この方は、いつも新鮮な問いを持ってこられるので、話が弾みます。
気になった言葉で、最近、『 保坂尚輝さん 』 という方でしたか、
熊本のお寺で得度されたとか、話題になりました。そのとき 『 在家出家 』
とか 『 出家在家 』 とかおっしゃってました。
こういう言葉もいつ出来たのでしょう。 『 除霊 』 という言葉も、今までなかっ
た言葉です。勝手な宗教言葉が氾濫してるようです。
『 出家 』 は 『 家出 』 とは違います。 字は似てます。行動も同じです。
家を出ることには違いないのですから。では、何がどう違うのでしょうか?
考えてみてください!
一つのヒントとして、
『 家出 』 は 『 不安になる 』 家を出て、生活どうしようかと。
『 出家 』 は 『 不安に立つ 』
不安になる、不安に立つ、なんか似てます。不安に立つ、チョッと聞きなれない言葉で
す。不安になんかに立てるか、と思われるでしょう。
ありがとう、という言葉も お経には
『 やがて死すべきものの 今いのちあるは有り難し 』
有ること自体が貴重なのだ、というんですね。
保坂さんもたぶん、得度の時、白い着物を着られたはずです。これは死を覚悟する、
ということです。死を背中に背負って立つ。死を自覚して生きる。
だから、のんきに生きてますが、不安に立つ、という生き方が事実を認識した生き方にな
ると思います。
そんなこと考えたら、とても明日から生きていけません。
まあ~、自分だけは大丈夫、と思って…、 なんとかごまかして、見ないように
一日を過ごします。
(人間は事実と、事実が大事と、よく言いますが、
本当は事実は見れないし、見たくないものなのですね。)
出家、という、不安を認識して、不安という立場に、しっかと立つ、
この方が、人間として、正直な生き方と思いませんか。
『 不安に立つ 』
これが、私の一生のテーマです。
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