本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

出家 (しゅっけ)

2007-06-22 22:51:26 | 住職の活動日記
 今日久しぶりに、ゆっくりと昼から夕方まで話しました。

たまに訪ねてこられる、同じお坊さんです。

 私は自分が坊さんなのであまり坊さんが好きではありません。

この方は、いつも新鮮な問いを持ってこられるので、話が弾みます。

 気になった言葉で、最近、『 保坂尚輝さん 』 という方でしたか、

熊本のお寺で得度されたとか、話題になりました。そのとき 『 在家出家 』

とか 『 出家在家 』 とかおっしゃってました。

 こういう言葉もいつ出来たのでしょう。 『 除霊 』 という言葉も、今までなかっ

た言葉です。勝手な宗教言葉が氾濫してるようです。


 『 出家 』 は 『 家出 』 とは違います。 字は似てます。行動も同じです。

家を出ることには違いないのですから。では、何がどう違うのでしょうか?

  考えてみてください!


 一つのヒントとして、

『 家出 』 は 『 不安になる 』     家を出て、生活どうしようかと。

『 出家 』 は 『 不安に立つ 』

 不安になる、不安に立つ、なんか似てます。不安に立つ、チョッと聞きなれない言葉で

す。不安になんかに立てるか、と思われるでしょう。 
                   

 ありがとう、という言葉も お経には

    『 やがて死すべきものの 今いのちあるは有り難し 』

有ること自体が貴重なのだ、というんですね。


 保坂さんもたぶん、得度の時、白い着物を着られたはずです。これは死を覚悟する、

ということです。死を背中に背負って立つ。死を自覚して生きる。

だから、のんきに生きてますが、不安に立つ、という生き方が事実を認識した生き方にな

ると思います。

 そんなこと考えたら、とても明日から生きていけません。

 まあ~、自分だけは大丈夫、と思って…、 なんとかごまかして、見ないように

一日を過ごします。 

   (人間は事実と、事実が大事と、よく言いますが、

     本当は事実は見れないし、見たくないものなのですね。)


 出家、という、不安を認識して、不安という立場に、しっかと立つ、

この方が、人間として、正直な生き方と思いませんか。

    『 不安に立つ 』
 
  これが、私の一生のテーマです。
 
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