人間、覚悟を決めた姿は美しい !
本来は誰でも、その時その時を覚悟を決めて生きているのですが、
ついつい、その事に気がつくことなく、流されて生きてしまします。
今日も、覚悟を決めた 「 青年 」 がやって来ました。
凛々しく、目も輝いています。
『 迷いは初めがなくて終わりがある
悟りは初めがあって終わりがない 』
ということがあります。
覚悟を決める、一つの方向を見いだすのです。
そこからが本当の修行が始まります。
終わりのない !
私たちは、
なかなか 「 初め 」 がみつからない、
うろうろしている。
「 身体 」 は本来休みがないのです。
死ぬときが休むときです。
「 おぎゃ~ 」 と生まれてから、
心臓が今日は一服しようということはありません。
そのように、身体的には休みがないのですが、
「 心 」 というか、意識として、休みたがるのです。
『 覚悟 』 を決めてからが大事です。
意識として、
「 もう、ここまで頑張ったから、いいだろう ! 」
と、勝手に決めてしまいます。
「 いつの日か、たどり着くかはしらねども
我は行かんただ一筋の道を 」
方向をもつことが大事です。
たどり着く、着かないは、問題ではないのです。
『 菩薩 』 という、ほとけさま
「 方向付けられた人間 」 という意味です。
例えば、 「 東京へ行こう ! 」 と決めたら、
新幹線であろうが、自動車であろうが、歩いて行こうが
歩み出すことが、大事です。
方向が見つかれば、一歩一歩です。
一歩一歩が大事 !!
一気に行くことは、どこか誤魔化しがあるのです。
歩みを止めないことです。
今日の青年、偉いところは、
「 ご縁 」 を勝ち取っていったことです。
「 縁 」 も、ただ待っているだけでは来ないのです。
自分で求めて、勝ち取っていくものです。
不器用でもいい !!
一歩ずつ、歩みを止めないことです。
その不器用さがあなたの信頼へと変わってくるのです。
正直に、素直に歩んで欲しいと願っています。
そういう、青年に出合うということは
こちらも清々しい気持ちにさせていただきました。
本来は誰でも、その時その時を覚悟を決めて生きているのですが、
ついつい、その事に気がつくことなく、流されて生きてしまします。
今日も、覚悟を決めた 「 青年 」 がやって来ました。
凛々しく、目も輝いています。
『 迷いは初めがなくて終わりがある
悟りは初めがあって終わりがない 』
ということがあります。
覚悟を決める、一つの方向を見いだすのです。
そこからが本当の修行が始まります。
終わりのない !
私たちは、
なかなか 「 初め 」 がみつからない、
うろうろしている。
「 身体 」 は本来休みがないのです。
死ぬときが休むときです。
「 おぎゃ~ 」 と生まれてから、
心臓が今日は一服しようということはありません。
そのように、身体的には休みがないのですが、
「 心 」 というか、意識として、休みたがるのです。
『 覚悟 』 を決めてからが大事です。
意識として、
「 もう、ここまで頑張ったから、いいだろう ! 」
と、勝手に決めてしまいます。
「 いつの日か、たどり着くかはしらねども
我は行かんただ一筋の道を 」
方向をもつことが大事です。
たどり着く、着かないは、問題ではないのです。
『 菩薩 』 という、ほとけさま
「 方向付けられた人間 」 という意味です。
例えば、 「 東京へ行こう ! 」 と決めたら、
新幹線であろうが、自動車であろうが、歩いて行こうが
歩み出すことが、大事です。
方向が見つかれば、一歩一歩です。
一歩一歩が大事 !!
一気に行くことは、どこか誤魔化しがあるのです。
歩みを止めないことです。
今日の青年、偉いところは、
「 ご縁 」 を勝ち取っていったことです。
「 縁 」 も、ただ待っているだけでは来ないのです。
自分で求めて、勝ち取っていくものです。
不器用でもいい !!
一歩ずつ、歩みを止めないことです。
その不器用さがあなたの信頼へと変わってくるのです。
正直に、素直に歩んで欲しいと願っています。
そういう、青年に出合うということは
こちらも清々しい気持ちにさせていただきました。
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