最近「ほめ達」という言葉が
あるようです。
先日のテレビで、
自動車教習所での先生が
褒め上手になったとか、
ということもあり色々なところで
褒めて伸ばすというか
欠点を指摘するのではなく
あえて、欠点を褒めることに変えて
相手の欠点を認めてあげる。
そこで、
「ほめる」ということの
スクールもあるようです。
まずは「ほめる」
そして「注意する」
さらに「またほめる」
というようなテクニックの
ようですが、
時代と共に人と接することの
難しさがそこにはあるのでしょう。
ほめる、漢字で書くと
「褒める」
ころもへんの字です。
もとは、
脇下に広いマチを作り
わきすそを広くした衣
という意味です。
音が「称」に同じで、
称賛することから、ほめる
というようになったようです。
ほめて物を与える、「褒美」
という言葉や
褒章や褒賞という言葉も生れました
仏教の十善戒という中に
「不綺語」
という戒律があります。
綺語とは人に対して上手をいう
ことなのです。
お世辞とかそうですけど、
人に対して悪口をいうのでもないので
いいような気がしますが
あまり言いすぎると
自分の心の中に残っている
わずかな真心までなくしかねない
ということがあります。
人を気持ちよくさせることは
いいのですが、
自分の真心を失くすという
ことになってしまいます。
玉三郎さんは父から
「褒められたら疑え」
と、教えられたそうです。
「褒め殺す」
ということもあります。
芸人を駄目にするには
3日間褒めれば
本人もその気になり
遂には駄目になるとか…
ということなのでしょう。
褒めるということも
道を求め修行に励んでいる人には
禁物なのでしょう。
しかし、
普段何気なく生活している分には
褒めるということも
人と人との潤滑油になるのでしょう
鶴瓶さんも言ってましたが
関西人は
「人の欠点には傷を開き
そこに塩を塗る
それで傷も治ると」
というようなことをすると、
逆説的に、
褒めるのではなく
あえてそこを叩く、と
それも愛情なのかもしれません。
「ほめ達」
もいいのですが、
ほめ過ぎて自分の真心を
失くさないようにしたいものです。
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