先々代 「 晋亮法印 」 ( 私から見れば祖父 )
『 力の泉 』 という 「 はがき伝道 」 を
続けていました。
子供のころ風呂敷包みを持って、
印刷屋さんへこのハガキを取りに行くのが
私の役目でした。
古い小さな印刷屋さんでしたが、
インクの香りが好きで、ふとしたときに
このインクの香りを思い出します。
整理してた時、崇正が発見したのですが、
『 力の泉 』 30周年を記念する
お祝いの手紙が出てきました。
恵楓園の方からの手紙です。
恵楓園の真言宗の方々の会が 「 真愛会 」 といいます。
祖父の頃は恵楓園の方々に 「 和歌 」 を
教えていたようです。
その方々が今でもお元気にしていらっしゃいます。
もう、崇正を数えると実に四代にわたっての
お付き合いということになります。
昭和38年5月に 「 祝賀会 」 が催されたようです。
ということは、昭和8年より続けてこられたということです。
30年 … よくぞここまで続けられた。
いま、思い返してみると、
「 今週の言葉 」 も祖父が始めたものです。
昔はいい紙がなかったのでしょうか、
それとも、ものを大切にということだったのでしょうか ?
包装紙とか裏が白くて使えるものは
折皺を延ばして、それに書いていました。
そして、今は 「 不動の光 」 という
隔月の発行している新聞があります。
これも、祖父の 「 力の泉 」 の
影響だと思います。
何気なく30周年と思いますが、
祖父の姿を思い出してみると、
ゆっくり休んでいる姿を見たことがありません。
布団は敷いてあるのですが、
その前に机があって、
いつも、その前に座って本を読むか
ものを書いたり、たまにはガリ版を切ったり
そういう姿が目に焼きついています。
よく、クラシック音楽が好きで
レコードをかけてくれと頼みます。
それで一緒に聞いていると
そのときは、ゆっくり休んでいるようでしたが、
音を切ってしまうと、突然目を覚まし、
「 聞いているのに、なぜ消すか ! 」
と、叱られました。
祖父のやってきたことを思い出しますと、
私たちがやっていることは足元にも及びません。
密かに、マルチに、
活動していたように思います。
お寺の作務の合間を縫って、
「 熊本雅楽会 」 をつくり
雅楽の練習に励んでいましたし、
「 短歌の会 」 もつくり、
毎月歌会を開いていました。
それに、お説教のプリントをガリ刷りしたり
「 力の泉 」 を毎月出してと、
本当に寝る間を惜しんで、
本当に最後の最後までいのちを燃やしつづけて
こられたように思います。
不思議なことに 『 晋亮法印 』 のことを
知っている方々は恵楓園の方々だけのように
なってしまったと思います。
この手紙を崇正が見つけたことは
偶然といえばそれまでですが、
見つけるべくして見つけた、
ともいえると思います。
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