「禅」ということも
座禅とか禅宗という言葉もあり
すっかり日本語ですが
もともとはインドの言葉
ドヒヤーナDhyanaの音写で
禅那(ゼンナ)とも音写し、
これがさらに略されて「禅」と
なりました。
静慮(じょうりょ)、思惟修習と
訳されました。
六波羅蜜の第五番目禅定波羅蜜です
心を一つの対象に専注して
つまびらかに思惟すること。
と辞書には出ています。
では、
忙しく慌ただしいこの世の中で
どうやったら
心を静かに整えることができる
のでしょうか?
兼好法師は『徒然草』のなかで
このように述べておられます。
「筆を執れば何かを書きたいと思い
楽器をもてば音を出したいと思い
盃を持てば酒を思い浮かべ
サイコロを手にすれば賭け事を
しようと思います。
心は必ず、物事に触れて動くのです
ですから、仮初にも良くない遊びを
してはいけません。
少しでもお経の一句を見れば、
何となく前後の文句も見えてきます
そのお陰で突然に、長年の誤解を
改めることもあります。
もし経典を開かなかったら、
この間違いには気づかなかった
これは、
触れたからこその御利益なのです。
信心が起こらなくても、
仏の前に座って数珠を取り経を開く
怠け心の内にも善い行いが身に付き
気持ちが乱れていても、
僧侶の座に坐れば、
いつの間にか禅定に到達します。
事理(現象と真理)は、もともと
別々のものではありません。
外見の姿が正しければ、
心のさとりも実現します。
ですから形だけであっても
信仰心が足りないといっては
いけません。
外見だけでも敬って尊ぶべきです。」
何はなくてもまず座る
机の前であれ、
編み物する方はその場に坐る
初めは心が乱れていても
坐っているうちに
心は落ち着いてくるものです。
そういえば
「マインドフルネス」
ということを先日のテレビで
放送していました。
一日3分間、椅子に座り
ゆっくりと複式呼吸を繰り返す
ただそれだけなのですが
そのテレビでは若さを保つ秘訣
として語られていました。
私たちの生活は雑念だらけの中で
暮らしています。
その中で唯一、心を整える方法は
呼吸を整えるということです。
座禅しても、
一つ、二つ、三つと十まで数え
また、一つ二つ、と繰り返す
これが入出息念です。
なかなかすぐには雑念はとれません
けれども、続けるうちに
禅定波羅蜜、
静慮という静かな世界が開けて
くるのです。
お彼岸ということも
両親、祖父母さらにはそのご先祖
仏壇やお墓の前で手を合わせ
しずかに呼吸を整えていく
今ある自分の姿が
おかげさまという心境が
開けてくるのではないでしょうか。
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