『 般若心経 』 の最初のところに
「 照見五蘊皆空度一切苦厄 」
と出てきます。
『 五蘊 』 ということも
仏教の中心問題ですが、
難しいところもあります。
『 四苦八苦 』 のなかでも、
「 五蘊盛苦 」 と、でてきますが
四苦八苦の中でも、
『 生苦 』 と 『 五蘊盛苦 』 が
わかりにくいところです。
『 五蘊 』 ( ごうん ) ( ごおん、ともいいます )
「 色・受・想・行・識 」 の五つです。
「 色 」 は、形あるもの
他の四つは 「 受想行識 」 は精神作用
をあらわします。
話は変わりますが、
孫の 「 紗和ちゃん 」 最近は
言葉のボキャブラリーも増えて、
上手のお話もするし、
自分の感情もうまく表現できるようになりました。
倶生起の煩悩 生まれながらにしてもっている煩悩
それに、最近では
分別起の煩悩 後から付いてくる煩悩
も増えて、好き嫌いも、損得勘定も
上手に出来るようになりました。
『 受 』 という心理です が、
お経の中では厳密にこう書いてあります。
「 受とは謂く、順違倶非の境相を領納する 」
始めてみる言葉ですが、
「 順 」 とは順境といって、自分に都合のよい対象
反対に
「 違 」 とは違境、自分にとって都合の悪い対象
ということになります。
「 倶非 」 とは、どちらでもないこと
このような対象を自分に関係させることが
「 領納 」 ということです。
生まれたての 「 紗和ちゃん 」
いままでは、自分の周りは
いろいろな 「 色 」 であふれていたでしょう。
それが、自分のものとして関係してこなかった。
ところが、
段々、言葉とモノとの関係が出てきた、
( ものを姿かたちでとらえ、
言葉が浮かんでくる )
これを 「 想 」 というのですが、
それが、今度は
自分にとって、都合がよい、か、都合が悪いか
はっきりしてきたのです。
そして、どちらでもないことは
知らん顔しています。 ( 倶非 です )
どんな小さな子といえども
ちゃんと 「 色受想行識 」 の五蘊
という心の作用を起こしているのです。
逆に大人は上手に誤魔化すので
わかりにくいところもあります。
「 唯識三十頌 」 のお経に出てくるように
子どもの意識が見えてくるのは
とても、勉強になります。
また、とても興味深いものでもあります。
このように、お経というのは
厳密に科学的に私たちの心理を
見抜いていることは
驚くばかりです。
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