本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

何遍読んでも、読む度に、新しい

2024-05-31 19:48:35 | 十地経

大学に入った時に

「十地経講義」に出会って

以来、今だ読み続けている

私にとっては

古くてしかも新鮮という

のがこの講義です。

 

「七地沈空のことは、

何か教科書のように書いて

ないですね、この経文

読んでみると。

そこがまあ面白いとこ

だと思うんです。

 

これは、もう一つの

相応学舎の会の三十頌ジュ

でもですね、

えらい長いことかかって

話しとるですけど、

熏習(くんじゅう)の話

ばかりしているんです。

そういう話しはですね、

教科書みたいにやると、

すぐすんでしまうんです。

 

イントロダクションて

案内書ってあんまり

よくないもんなんだね。

それはやっぱり原文に

触れなきゃ。

『成唯識論』

(じょうゆいしきろん)

といったら原文なんです。

翻訳とはいうものの、

原文なんです。

 

『十地経』でもそうです。

何故かというと、

この『十地経』というもの

によって地論宗というもの

が開かれたんです。

翻訳が開くということは

できないです。

原典だから開けてきた

んです。

 

原典というものは

表現というものをもって

いてですね、ただ解説と

いうようなもんじゃない。

そこで非常に文章が

生きているんですよ。

何ぼ話してみても、

味があるんです。

 

どうも味があるもんだから

何べん言ってみても

言っただけじゃすまん

ようになってくるんだ。

そんなことが我々を引いて

いくんじゃないかと

思うんです。

一つの芸術作品というよう

なもんでもそうです。

 

こういう本というのは

そうたくさんないもので、

何べん読んでも、

その読む度に、

新しんですね。

読んでなかったんじゃ

ないかという気持ちです。

もうすでに読んだつもり

でいたけど、読んでみると

読んでいなかったと、

こういう本があります。

 

やっぱりこの

『十地経』なんかでも、

七地沈空というようなこと

で片づけて、それでもう

七地はすんでしまうんだ。

卒業してしまうんだ、

知識的には、

七地沈空というものを

聞いただけで。

 

だけどその七地沈空という

ものを、その一語で

すましてないんです。

何かやっぱり

六地から七地を通って

八地まで及ぶ、

八地に入ってもやっぱり

沈空というようなことが

かえって

出ているんです。」

 

ですから、

この講義があって

その講義が本になり

それをいまだに読み続けて

いるということは

こういう事があったのです

私の場合は

忘れるという事もあって

読む度に日々新しいのです

 

別な見方をすれば

こういう本に出会った

さらに講義を聞けたという

ことは何よりも

有りうべからざることが

あったという

本当に有ること難しです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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