本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

本当の仏は行仏としてある

2021-09-02 17:56:02 | 十地経

連日のパラリンピックの応援

なかなか忙しいのです

とても面白く感動すること

しきりなのですが

先日は車いすラグビーで

銅メダル

昨夜は

車いすバスケットボールで

オーストラリアに勝ち

準決勝へ進みました

今日はボッチャの応援で

見ているとはまってきます

 

「みんなちがって

  みんないい」

 

という言葉のように

それぞれがそれぞれの

役目を果たしチーム一丸で

勝利をものにしていく

また、

ボッチャの競技も

見ごたえあるものです

チームプレーとなると

頭脳戦でその作戦を練るのが

こちらも一緒に考えたり

ワクワクドキドキするものです

 

そんな中『十地経講義』で

その『十地経』のもとになる

『華厳経』というお経があり

華厳ケゴン華でもって荘厳する

という意味でしょう

荘厳ということも

普通には飾り付けるというか

本堂の内陣の荘厳とか

そういう整えられた空間です

 

華厳経ということも

雑華経ともいわれ

名も無い草花で飾られた

という意味もあるようです

「雑」という字には

いろいろの布を集めて作った

衣服という意味があります

ですから

華厳ということも

そこらにある花々で荘厳された

世界ということでしょう

 

花には胡蝶蘭の様な

王様のような花もありますが

やはり身近にある草花が主役

というのも

華厳という意味なのでしょう

 

人というのは皆違っています

誰一人として同じ人はいません

今のパラリンピックを見て

手が不自由、手もないという

そういうハンディーを持っても

同じように一緒に出来る

人は皆唯一無二の存在

ということを思い知ります

 

ボッチャの

筋ジストロフィーの選手

段々筋肉が萎縮していく

いつまで出来るか分からない

と、

でも今の一瞬を

精一杯プレーすると

話しておられます

 

講義の中で

 

「本当の仏というものは

行仏ギョウブツなんだ。

行としてある。

仏が行ぜられとるという

ことが本当の仏なんだと。」

ですから、

仏というものがあるのではなく

行じるところに仏という

進行形が仏なのでしょう

形あるものではなく

行じなかったら仏ではない

 

そこで先生は入院

ということを通して

「死ぬるとか、治るとか

そんな妄想を描く。

それで死んでもいいじゃないか

治るか死ぬるかは

あなた任せだと。

誰にも分らん。

医者にも分らん。

そういうものは人間が

決めるものじゃないんです。

つまり、

死ぬるか、生きるか、

治るか治らんかを超えて

行ずると。

そこに安住があるのでしょう」

 

と結んでおられます

なんだか選手の方々を

見ていると、そういうような

明日はどうなるかとか

そういうことを考えずに

今の一瞬に全精力を傾ける

そのような姿に見えます

 

精一杯の応援しています

その姿がとても美しく見えます

 

 

 

 

 

 

 

 

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