本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

万劫の初事

2021-09-06 21:13:16 | 十地経

「万劫の初事」

(まんごうのはつごと)

この言葉も思い出します

講義の中のここで出てきた

のかと、

何ごとも「万劫の初事」

として聞きなさいと

よく、

三浦先生に言われました

 

ああそのことは聞きました

というのではなく

初めて聞くように

新鮮な気持ちで聞きなさい

またこの話か、

と思うのですが

聞くこちらの方が

万劫の初事として聞くと

話す方もまた新たな展開が

あって、新しい言葉も

生まれてくるものです

 

よくお寺に相談に見える方

くどい話に又かと、

思うのですが

そこをぐっとこらえて

あの言葉を思い出し

そうなんですか、それで、と

こちらが新鮮な気持ちを

持ち直し聞き直すと

同じ愚痴が違った方向へと

話が発展していきます

 

講義では

「初めて真理を見た

といって、初めという字を

つけるでしょう。

それが初歓喜地の初ですよ。

初歓喜地といって、

万劫の初事といって。

初めて見たという意味や。

長い間見たいと思っておった

ものを初めて見た。

 

そこに見られた真理は

初めがない。

見たときに真理は

始まったんじゃない。

見ぬときにもあった。

しかしながら

見ぬとなるというと、

あったといっても

見ぬなら、

ないのと同じことや。」

 

というように

出てくるのですが、

「初め」ということが

大切なのであって

何でも当たり前、

それは知ってるそれも聞いた

ということになれば

最初の一歩は出ないのです

 

歓喜ですから

何でもない当たり前のことを

そうだったのかと

歓喜を持て受け止めれば

そこに歩みが始まるのです

 

ですから何事も

「万劫の初事」として

聞き、受け止めれば

聞くこちらの方に

歩みが生まれると思います

どんな愚痴でも

またかと、何度聞けばいいの

と思ってしまえば

それは遮断してしまうのです

 

愚痴は何度でも聞くことです

聞いて聞いて聞いて

愚痴が出なくなるまで聞けば

言った方も聞いた方も

歩みが生まれると思います

思わぬ展開があるはずです

 

年を重ねても

すべてのことに

「万劫の初事」と思い

チャレンジすれば

歩みはのろくとも

新しい発見があるように

思います。

 

 

 

コメント
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