本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

宗教心というものは…

2021-01-14 20:52:25 | 十地経

相田みつをさんの詩に

「そのうち」というのがあります

 

そのうち、お金がたまったら

そのうち、家でも建てたら

そのうち、子供から手が放せたら

そのうち、仕事が落ちついたら

そのうち、時間のゆとりが

     できたら

 

そのうち …

そのうち …

そのうち … と、

できない理由を

くりかえしているうちに

 

結局はなにもやらなかった

 

空しい人生の幕がおりて

顔の上に 淋しい墓標が立つ

 

そのうち そのうち

日が暮れる

 

いまきたこの道

かえれない

 

ドキッとする詩ですが

やはり宗教心というものも

こういうもので、

安田先生の講義では

 

「宗教心というものは、

初めからですね、

大悟徹底したと、

そんな化け物のように出てくる

もんじゃない。

何か気にかかる

というような問題なんです。

何かひとつの本能のようなね。

宗教というものは

一つの本能として人間にある

もんじゃないかと思うんです。

努力して出てくるものじゃない

と思うんです、教養でね。

 

本来人間、

それがないと人間は成り立たない

もんでしょう。

そういうものが非常にかすかな、

要求というか、

祈りというか、

そういう形であるものですね。

 

だけど

それを覆うとるものが多いんだ

もう窒息しかけとる

宗教的本能が。

いろんなものがね、

家庭のこともあるし、

社会のこともあるし、

職業問題もあるしさ、

飯食わんでもいくというような

そんなわけにはいかんわね。

しかし

飯を片付けてからじゃ

もう遅いわね、

飯の問題片づけてからでは。

そうでしょう。

そういう形で、

覆うとるものが大きいんです

窒息するほど大きいんですわ。」

 

というように述べておられます。

ですから、

宗教心というものは

ある特別な人にあって

普通の人にはないということでは

なくて、

誰にでも共通して持っている

ものなんです

しかし、あれやこれや

家庭とか仕事とか気にかかる

ことも多くて

ついつい後回しにしてしまいます

 

ところがこの問題こそ

一番に解決しなければいけない

問題なのです

近くの黄檗山萬福寺には

「第一義諦」という額が

掛かっています。

まず第一に考えなければいけない

問題をもって山門に入れ

ということなのでしょう。

 

ところが、

経済問題とか家庭の問題は

激しいものです

ついつい目を奪われてしまいます

何が一番の価値なのか

ということが

誤魔化されてしまい

本当に大切な微かな問題が

かすんでくるのです。

 

ですから、

心に起こったかすかなことを

見逃さないようにして

大切に温めておくことが

肝心なようです。

心の抱いておれば必ずいつかは

芽生えてくると思います。

 

でないと

そのうち そのうち

といっているうちに

墓標が立ちかねません。

 

いまきたこの道

かえれないのですから。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする