本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

経典に出てくる数の単位

2018-07-31 21:10:30 | 十地経

お経の中にはよく喩として

数が出てきます。

弘法大師の書かれたものの中に

虱(しらみ)のまつ毛にいる虫

という喩で小さいものの大きさを

表しています。

また、大きいものでは

恒河沙(ごうがしゃ)という

ガンジス川の砂の数

という単位です。

時の長さでは「劫」(こう)

というものがあります

4里四方の立方体の石に

百年に一度天女が舞い降りて

踊りを舞い、その薄い絹で擦れて

その石が無くなってしまったのを

1劫という時の長さです。

 

『十地経』も七地も終りに

さしかかり経典の最後には

たくさんの数の単位が出てきます。

 

「精進の力を以ての故に

 一念の間に於いて、

 百千億那由他の三昧を得、

 百千億那由他の仏を見、

 百千億那由他の仏の神力を知り

 能く百千億那由他仏の世界を

 動かし、

 能く百千億那由他の仏の世界に

 入り、

 能く百千億那由他の仏の世界を

 照らし、

 能く百千億那由他の仏の世界を

 衆生を化し、

 能く壽百千億那由他の劫に住して

 能く過去未来世各百千億那由他の

 劫の事を知り、

 能く善く百千億那由他の法門に

 入り、

 能く身を変じて百千億那由他の

 身と為し、

 一一の身に於いて能く

 百千億那由他の菩薩を示して

 以て眷属と為す」

 

と続くのですが、

百千億那由他という数字の

単位が続くのです。

経典を読むたび思うのですが

こうも面倒な長い数の単位が

繰り返し続くのかと、

一つにはインドの人は暗記に

よるので繰り返しということが

リズムになってくるのでしょう。

そして最後の方は、

 

「是の諸の神通乃至

 無量百千万億那由他劫にも

 数知すべからず」

 

となっています。

このことを安田先生は

「いずれもこれはやはり

 精神界というようなものでしょう

 身を百千に現ずるとかですね

 無量無数のつまり、

 絶対自由意思の世界という

 ものでしょう。

 精神界というものを述べた

 ものだと思うのです。

 こういう大きな世界が

 内にあると。

 それは夢にも見えん世界と

 いうんでしょうね、

 夢にも見ることのできない世界が

 開けてくるというんでしょう」

 

と述べておられますが

こういう精神世界を

こういう大きな数の単位で表して

いるのですね。

そういわれてみると

そのような世界見たことも

ないのですが

何となく分かるような気もします。

 

というのは

その前の段には

「此の菩薩遠行地中に住し

 無量劫に於て諸の善根転た勝れて

 明浄調柔であることを成就す」

と出てきます。

調柔ということは、

その精神生活が練に練られて

洗練されてくるという意味です。

 

そういうことがあって

百千億那由他という

大きな世界があるという

ことなのでしょう。

 

ちなみに数の単位ですが

一、十、百、千、万、億、兆

ここら位まではよく聞きますが

まあ、私たちには万までですが

経済の単位は大きいと言っても

兆の次、京まで位でしょうか

そこから

ゼロが44個ついた「載」

千載一遇のチャンスとかいいます

恒河沙はゼロが52個

阿僧祇(あそうぎ)はゼロが56個

今でてきた那由他(なゆた)は

ゼロが60個

その上が不可思議は64個

そして最後が無量大数となり

これはゼロが68個ついた数です。

 

それぞれ人間の心の世界の広がり

それを考えると

阿僧祇、那由他という数は

あり得るしそれほど深いものだと

思うのです。

儲けた儲けたといっても

たかが5桁か6桁どまりです

それに比べたら

人間の心の深さ広さといったら

比べものにならないでしょう。

それほどのものを

私たちは心の中に秘めている

ということではないでしょうか。

 

 

 

 

 

  

 

 

コメント
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