本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「 花の命は短くて … 」

2012-05-17 21:18:51 | 住職の活動日記

 還暦のお祝いに 「 真っ赤なバラの木 」  を頂きました。

そのときは豪華絢爛に咲いていたのですが、

それから虫が付いてしまい、

もう、枯れてしまうのではと思うほど、瀕死の重症でした。  

 ところが、少しだけ復活、  

 

    

 

 

小さいながら、今朝真っ赤な花を咲かせていました。

 今年は、こまめに丁寧に、一枚ずつ葉っぱをひっくり返して、

見落としてしまいそうな虫を取りました。

 その成果があってか、珍しく今年は綺麗な花を咲かせました。

 

   「 人生は苦なり 」

とは、お釈迦様の悟られたときの言葉です。

悟りの内容といっても、その内容は 『 人生は苦なり 』  ということです。

若いときは、  …       

生きることは楽しいことばかりで、

何が苦しみなのだろうか ??    

わかりませんでした。

たまには、嫌なことがあるので、

水戸黄門の歌ではないですが、

 「 人生 楽ありゃ 苦もあるさ  … 」

と、くらいに思っていました。

 

 しかし、還暦過ぎたころから、

このバラの木と同様に、いろいろ苦しいことがやって来ます。

 若いころの 「 苦 」  ということは、

「 嫌なことがやって来た 」  ということと、

それとは反対に

「 自分にとって都合のいいことが離れていく 」

ということしか考えられませんでした。

 四苦八苦、ということを言いますが、

    (  『 生・老・病・死 』   この四つに

       『 愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蔭盛苦 』  を加えて

       四苦八苦 )

    ( この中で、私たちに分からないのが

      「 生 」 という苦と 「 五蔭盛苦 」  です。

更に別な角度から見ていくと、上のことと違った

「 行苦 」 ( ぎょうく )  ということがあります。

 自分にとって、都合がいいとか悪いとかでは片付けられない、

存在自体、自分がいること自体の苦しみ、

ということが、還暦を過ぎたころから滲み寄ってきます。

 

 三浦先生も、

 「 その齢になってみないと、わからない苦しみがある。 」

と、よくおっしゃっていました。

 先生の若い頃、

 「 自分にとっての座右の書は 、

   林芙美子の放浪記 と 高神覚正の苦悩を超えるもの で、

   この二冊が自分を支えてくれた。」

と述べておられました。

 その、林芙美子の放浪記の中に

   『 花のいのちは短くて  苦しきことのみ多かりき 』

とあるようです。

 

 もう、還暦も過ぎて  人生短いということはありませんが、

今までとは違った 「 苦 」  ということの影が

心の中をよぎっていくように感じています。

 

   

 

 

このバラの花も、散々虫に食べられながら、

なんとか今年は 「 花 」  をつけることができたのです。

 虫という、自分にとっての苦と戦いながらも、

 苦難を乗り越えていっているように思います。

 

 

 

 

コメント
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