還暦のお祝いに 「 真っ赤なバラの木 」 を頂きました。
そのときは豪華絢爛に咲いていたのですが、
それから虫が付いてしまい、
もう、枯れてしまうのではと思うほど、瀕死の重症でした。
ところが、少しだけ復活、
小さいながら、今朝真っ赤な花を咲かせていました。
今年は、こまめに丁寧に、一枚ずつ葉っぱをひっくり返して、
見落としてしまいそうな虫を取りました。
その成果があってか、珍しく今年は綺麗な花を咲かせました。
「 人生は苦なり 」
とは、お釈迦様の悟られたときの言葉です。
悟りの内容といっても、その内容は 『 人生は苦なり 』 ということです。
若いときは、 …
生きることは楽しいことばかりで、
何が苦しみなのだろうか ??
わかりませんでした。
たまには、嫌なことがあるので、
水戸黄門の歌ではないですが、
「 人生 楽ありゃ 苦もあるさ … 」
と、くらいに思っていました。
しかし、還暦過ぎたころから、
このバラの木と同様に、いろいろ苦しいことがやって来ます。
若いころの 「 苦 」 ということは、
「 嫌なことがやって来た 」 ということと、
それとは反対に
「 自分にとって都合のいいことが離れていく 」
ということしか考えられませんでした。
四苦八苦、ということを言いますが、
( 『 生・老・病・死 』 この四つに
『 愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蔭盛苦 』 を加えて
四苦八苦 )
( この中で、私たちに分からないのが
「 生 」 という苦と 「 五蔭盛苦 」 です。
更に別な角度から見ていくと、上のことと違った
「 行苦 」 ( ぎょうく ) ということがあります。
自分にとって、都合がいいとか悪いとかでは片付けられない、
存在自体、自分がいること自体の苦しみ、
ということが、還暦を過ぎたころから滲み寄ってきます。
三浦先生も、
「 その齢になってみないと、わからない苦しみがある。 」
と、よくおっしゃっていました。
先生の若い頃、
「 自分にとっての座右の書は 、
林芙美子の放浪記 と 高神覚正の苦悩を超えるもの で、
この二冊が自分を支えてくれた。」
と述べておられました。
その、林芙美子の放浪記の中に
『 花のいのちは短くて 苦しきことのみ多かりき 』
とあるようです。
もう、還暦も過ぎて 人生短いということはありませんが、
今までとは違った 「 苦 」 ということの影が
心の中をよぎっていくように感じています。
このバラの花も、散々虫に食べられながら、
なんとか今年は 「 花 」 をつけることができたのです。
虫という、自分にとっての苦と戦いながらも、
苦難を乗り越えていっているように思います。