大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

真夏の小江戸・川越の歴史散策(其の四)~童歌「通りゃんせ」の故郷・三芳野神社~

2012年07月31日 16時28分11秒 | 地方の歴史散策・埼玉小江戸川越
川越城本丸御殿のちょうど目の前に、なんとあの「通りゃんせ」で知られる童歌の発祥の地があるではありませんか。

三芳野神社社殿

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

という文言の中にでてくる天神様が本丸御殿の目の前にその社殿を構えています。



その天神様が三芳野神社です。創建は古く平安時代初期の大同2年(807)に遡ります。川越城が築城される前から社を構えていたことになるのですが、神社の場所はそれこそ本丸御殿のすぐ脇ということは、この神社はお城の中に取り込まれていたことになるのです。

このため川越城築城当初から城内の鎮守として歴代の城主たちから崇敬されてきたことになります。ということはこの三芳野神社は一般庶民がおいそれと参詣に訪れることができない場所に鎮座していたことになります。

説明書きによると、江戸時代にこの天神様にお参りするには、川越城の南大手門から入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見てさらに天神門をくぐり、東へ向かう小道を進み、三芳野神社に直進する細い道を通ってお参りしたそうです。この細い道が「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地であると言われています。この道程を本丸住居絵図に照らしてみるとかなりの距離になることがわかります。

三芳野神社への「細道(参道)」
三芳野神社

そんな長い距離があるにもかかわらず、「通りゃんせ」の歌のように庶民が「子供の七つのお祝いに御札を納めに行く」ために城内を歩くことが許されていたことに面白さを感じるとともに、城主の粋な計らいに感心してしまいます。

わらべ歌発祥の所碑

尚、「行きはよいよい 帰りはこわい」の意味はさまざまに解釈されるようですが、一般的には城内の様子を見てしまったはずの庶民にとって、見てはいけないものもあるはずなのです。そんな城内の秘密めいたものや、参詣客に紛れた敵の間者が簡単に城外へ出てしまわないよう出口で厳しく取り締まったことを「帰りはこわい」で表現したのでは、と一人想像をめぐらしたしだいです。

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