気づき 2009年08月11日 | 日記 みんな馬鹿じゃないの?って思ったときはだいたい自分が馬鹿だ。 休みに出かけなければどこに居ても同じだ。 洋食は思ってたよりもおいしいものだ。 忙しいと手帳は便利だけど、忙しすぎると手帳が手元から無くなる。 海は見るものじゃなくて入るところだ。 最近考えたことはそんなことだ。 « 夕日 | TOP | 孤独 »
2 Comments コメント日が 古い順 | 新しい順 教わった事 (ランナー) 2009-08-20 21:51:56 過去の苦しみも、未来の漠然とした不安も、「感じる」「思う」のは「今」の自分。不安や辛さは人生で必ず訪れるもので、代表的なものは、「病気」であったり、「死」であったり。病気に一回もかかった事がない大人はいないだろうし、まして死なない人も存在しない。苦労や辛さは、それ自体を「苦しい」と感じ「たい」自分の、意志。感じるという事は、他人にその意見を求める事ではなくて、自身の内側にこそ、その答えがあるように思える。「死」を恐れ、意識的に拒否するのと同様に、苦労、辛さを恐れる事は、自分に避ける事の出来ない苦しみを与えているような気がする。「起きて当たり前の事(死ぬ事のように)」であるならば、その事自体を「愉快な事」に「感じる」意志を持てばいい。人生の楽しみ方とは、そういったものです。と、戦争を体験した白髪の老人が教えてくれました。 返信する 最近考えたこと。 (つくばのニンジャつかい) 2009-08-22 22:10:08 ぼくは、このごろ何か考えただろうか?一人より、二人の方が楽しく生きていけるようなきがしてきた。そんなことぐらいだろうか。世界不思議発見をみて、やってきました。ベルリンで走ってらっしゃいましたね。コースは楽しめましたか? 僕もジョギングをたしなみますが、楽しく走れているだろうか、と自問してみる。 タイムをねらうとき、それはまさに自分との戦いだ。へこたれる自分にムチをいれ、手を抜かないよう自分を監視し、挑む。それでもタイムは縮まない。悔しい。でもまた、挑戦を繰り返す。自ら悔しさに突き進んでいく。これは、実は楽しいということなのだろう。 そしてあすもまた走る。 返信する 規約違反等の連絡 post a comment goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
「感じる」「思う」のは「今」の自分。
不安や辛さは人生で必ず訪れるもので、
代表的なものは、「病気」であったり、
「死」であったり。病気に一回もかかった
事がない大人はいないだろうし、まして
死なない人も存在しない。
苦労や辛さは、それ自体を「苦しい」と
感じ「たい」自分の、意志。
感じるという事は、他人にその意見を求める
事ではなくて、自身の内側にこそ、その答え
があるように思える。
「死」を恐れ、意識的に拒否するのと同様に、
苦労、辛さを恐れる事は、自分に避ける事の
出来ない苦しみを与えているような気がする。
「起きて当たり前の事(死ぬ事のように)」
であるならば、その事自体を「愉快な事」に
「感じる」意志を持てばいい。
人生の楽しみ方とは、そういったものです。
と、戦争を体験した白髪の老人が教えてくれました。
一人より、二人の方が楽しく生きていけるようなきがしてきた。
そんなことぐらいだろうか。
世界不思議発見をみて、やってきました。
ベルリンで走ってらっしゃいましたね。
コースは楽しめましたか?
僕もジョギングをたしなみますが、楽しく走れているだろうか、と自問してみる。
タイムをねらうとき、それはまさに自分との戦いだ。へこたれる自分にムチをいれ、手を抜かないよう自分を監視し、挑む。それでもタイムは縮まない。悔しい。でもまた、挑戦を繰り返す。自ら悔しさに突き進んでいく。これは、実は楽しいということなのだろう。
そしてあすもまた走る。