山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

家が欲しい

2008年01月13日 | 日記
沖縄でナイチャー(内地のひと。ヤマト、ヤマトンチュなんて言うこともあるけど、あまりいい意味を込めて使われない)に囲まれるとイライラしてしまうのは(こう言うときに「ヤマトに囲まれると気分が悪い」と使えばいいのかもしれない)、自分がナイチャーである限り自分に対しても向けられる感情で、やっぱりここには不必要な人間なんだと思う。移住者の好きな沖縄は、沖縄の文化の残る場所で、移住者で溢れる沖縄ではなく、理想に近付けば近付くほど、自分の不必要さが浮き彫りになってくる。こんなことを考えるのも、ここに腰をおろそうと思い始めて周りを見てみると、意外なほど多くの移住者に囲まれ、その人達と地元の人との間には少なからずとはいえはっきりと溝が敷かれていることを認識しはじめたからだ。「そんなこと当たり前だろ」と思うのかもしれないけど、これだけ転々としても、ある程度「そこに家を持てばそこの人」と言う認識はそこまで見当外れのものじゃなかった感じがあり、トドメに東京での生活がその感覚を確固たるものにしてしまっていた。「○○区に住んでいます」という言葉を聞いても「生まれは?」と言う質問をする必要性になんの疑問も持たず、ましてや「生まれも?」なんて聞く人はなかなか居ない。もしくはそれ以上の詮索はお互いしないことが、田舎者同士の暗黙の約束として存在していると言っても過言ではない。前提条件が「東京の人は東京の人じゃない」からだ。だから他所から来たことに対して抵抗を感じない。でも田舎から来た人や来たばかりの人を見ると、小バカにするか、自分が「田舎者」であったことを隠すかのように「都会人」を演出する。変な世界だ。終わりには田舎暮らしに憧れてしまうんだから。奈良に居た頃は外から来る人も少なく、当たり前のように奈良の人で固められていた。入れ替えの少ないコミュニティで育ったことも、こんなことを考えやすくしたのかもしない。結局「そこに家を持てばそこの人」という考えが、移住者の都合のいい考えであって、「そこで生まれ育った人」にとっては違和感以外の何も感じない人間なんだと思う。やっぱり土地のことは散々考えさせられたけど、生まれた場所が一番ですね。さてさて、奈良に帰りますか(嘘)。

沖縄に家が欲しいので、誰か家ください。台風で屋根が飛ばなければ文句は言いません。あ~寮暮らしはやっぱりやだなぁ。綺麗で便利なんだけど、やっぱり自分の家とは思いにくい。携帯の電波も悪いし。でも1分以内で海。今日は昼過ぎから夕暮れまで、ハーフパンツで海に立ち込んで釣り。ボウズですが久々に海と触れました。いろんな表情をする海はそこに居るだけで面白い。そこに居るための理由付けに釣りがもってこいで、とてもいい…という言葉は釣れない釣りをした時の合言葉で、今度こそエソ以外の魚をアップできるように頑張ります。





最新の画像もっと見る

post a comment