世間一般に求められるような人間像、つまり差し障りのない、気兼ねなく接することの出来る人間像を演じるようなことは多々ある。特にこちらとしても、深く関わりたいとも、関わりたくないとも思わないような大多数の人に対して、そのように接することが多い。そんなことを繰り返していると、事象→思考1→思考2→・・・→表現と経由して、その場にふさわしい表現を選び出していたのが、思考が1くらいでちゃんと表現できるようになってしまう。まあバイパス手術でも受けたみたいに、途中をすっ飛ばせるようになってしまうわけだ。だけどこれに慣れてしまうと、思考10くらい必要な場面に出くわすと、非常にめんどくさくなる。「まあとりあえず、差しさわりのないことを言っておこうか」と繰り返し、気づいてみると、思考なんて特に必要とせず、真に世間一般に求められるような人間像が出来上がっているわけだ。あと厄介なのが、先に表現が決められているような場合。面接や商談といった類のものでは、表現がある程度決まっていて、表現に合わせた思考を繰り返していくうちに、その思考があたかも自分本来の思考であるような錯覚を起こした挙句に、その錯覚だけを残して思考が排除されて、すっからかんな事象→表現が繰り返されるようになるなんてこともある。10考えないといけないときに、めんどくさがらずにちゃんと10考えて表現しないと、本当にすっからかんになってしまう。バイパス通れるようになったんだったら、その分考えないといけない時にじっくり考えられる人間になりたいものですがね。
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