志方町をゆく(142) 横大路(17) 郷ノ口(ごうのくち)
『風土記』には「村」という表記がたくさん見られます。
しかし、これらの村は、たんに人がムラがっている所を言ったもので、年貢を集めたりする行政単位ではありません。
古代においては、地方単位は郷里制を基礎にしていました。
715年に、これは郷(ごう、さと)と改められ、郷が地方政治の最下位の単位でした。
そして、中世・郷の下には、さらにに小さな単位である惣村が発生しています。
この一定のまとまりをもつ数村を合わせて「○○郷」と呼ぶことが一般的でした。
機関誌『志方郷』は、「郷土・志方町」程度の意味に使われているので、ここでは深入りしないでおきます。
郷ノ口橋
「出合橋」の隣(西)の善念川に架かる橋は「郷ノ口橋」です。
そして、小字に「郷ノ口」があります。
くりかえします。郷(ごう)は、江戸時代の行政単位ではなく、それ以前にさかのぼる名称です。
つまり、「郷ノ口」は、江戸以前から「志方郷への入口」であったことを意味しているのでしょう。
『志方郷(第2号)』で、磯野道子さんは「・・・この村(横大路)だけでなく志方郷に住んだ人々は、郷ノ口から、仕事や用事、または青雲の志を抱いて出て行き・・・」と書いておられます。
「郷の口」は、中世から「志方郷」への幹道の入口であったのでしょう。
*写真:郷ノ口橋
*お知らせ
横大路編は終了します。なお横大路の稲岡工業については「わたの里」をご覧ください。
この後、3回程度「余話」となります。なお、4日(火)から西牧界隈を(西志方)を歩いてみます。
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