神野町をゆく(73) 西条に、「新神野」誕生
昭和37年9月17日発行の「広報かこがわ」は、都市化に伴う大規模な県営住宅の建設のニュースを「大規模なモデル県営住宅地、神野町西条に用地決定」の見出しで取り上げています。
読んでおきましょう。 *文体は変えています。
大規模モデル県営住宅建設(新神野)
県で東播地方の急速な工業化に伴って、当地方最大のモデル住宅団地を建設を進めます。
場所は、神野駅を中心に県道加古川-小野線の両側で約66万平方㍍(約20万坪)の宅地を造成し、完成後は1万人の人口がふえることになる予定です。
具体的な建設構想は、今後中央と協議して決定されますが、大規模なため、モの中には公共施設、例えば上下水道、ガスの設傭、交通の問題や道路、公園の建設などはもちろんのこと学校、郵便局、消防施設など、にわかに一都市が生れることとなります。
工事は来年早々から宅地の遭成に取りかかる予定です。
消えた群集墳
付け加えておきます。
新神野増設には、西条山手の多量の土砂が使われました。
日岡山から東の西条山手の住宅開発地には、県下でも珍しいほどの古墳時代(主に5世紀)の群集墳が見られた地域でした。
宅地開発といいながら、あまり論議のないままに大規模な行者塚・人塚・尼塚だけを残し無残にも削り取られてしまいました。
古代人の生活の跡は簡単な記録にその歴史をとどめるだけとなりました。
*地図:新しく住宅地として開発された地域
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