神野町をゆく(61) 城山物語(5) 日岡豪族から神野豪族へ
地図をご覧下さい。
加古川市には、大きく日岡山古墳群、西条古墳群、そして平荘古墳群があります。
もちろん、この外にもたくさんの古墳があります。
日岡古墳群の多くは、4世紀古墳であり、西条古墳群は5世紀古墳が中心です。
この二つの古墳の関係が気になります。
二つの古墳群の関係について、大阪大学の都出比呂志教授は、次のようなに説明されています。紹介しておきましょう。
「・・・(山手中学校の北にある)行者塚古墳は、加古川地方ではトビっきり大きな古墳で、この古墳は5世紀古墳です。5世紀に古墳の中心は日岡から西条台地に移動しています。
その移動の時期は、ちょうど大和を中心にしていた豪族が河内へ移動した時期と重なります。
・・・地方の豪族は自分たちをまもるために、中央の豪族たちと同盟を結んでいました。
5世紀に大和東南部に非常に大きな力を持った豪族たちは勢力を弱め、政治の中心は河内へ移動します。
それに伴って、日岡豪族は力を弱め、加古川方の新しい豪族は5世紀になると河内を拠点とする豪族と同盟を組んだようです。
つまり、都出教授は、日岡山から西条への古墳への移動は、中央の支配者の変動に連動した動きと指摘されています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます