『別府小学校創立百周年記念誌』に、田下明光さん(昭和37年卒業)が子どもの頃、新野辺の海岸で遊ばれた思い出を書いておられます。
別府町をゆく(51) 写真集・別府町(18)
金沢新田(2)・金沢新田跡の風景
僕にとって別府は海です。そして、海は別府でした。
父親となって自分の娘、息子に話して聞かせる少年時代の想い出は、あの遠浅の別府の海の話しばかりなのです。
小学校に入る頃に始めた釣りは未だに続いていますが、エサを買わなければならないことと、魚が釣れなくなったことは、当時と比べて大きな変化です。
シンガイ・ワンド・マガリ
「シンガイ、ワンド、マガリ」この言葉を懐かしく感じるのは30代後半(それも男性かナァ)までではないでしょうか。(*この原稿は平成5年に書いておられます)
別府海岸は、加古川の東岸から別府川の西岸にかけて、加古川市のほぼ南限いっぱいの尾上町と別府町の海岸線約3.5キロメートルのうち東半分を占めておリ、逮浅の海水浴、汐千狩、釣りに最適の海岸でした。
「アマの泣き潮」と呼ばれていた、一年で一番潮の引く日には沖合300メートルまでいっても背が立つほどでした。
海岸線には別府から尾上まで延々と防波堤が続いていました。
防波堤の北側には平行して大小二筋の溝があり、「大ミゾ」「小ミゾ」と呼ぶ一種の気水域(海水と真水の混入域)で、さらにその北側には干拓田跡「シンガイ」が広がっていました。
小ミゾより大ミゾの方が塩分が多く、小ミゾにはフナもたくさんいたし、シンガイは真水に近く、シンガイの北側にも東西に細長いミゾがあって、フナやナマズが釣れました。
大ミゾが気水域なのは、海と大ミゾの水を調整する「ワンド」と呼ばれる石積みのバームクーヘンのような樋が防波堤に接して大ミゾ側にあリ、海側に一ケ所、大ミゾ側に三ケ所の水門がありました。
そして、防波堤は真ん中にあたり、別府と尾上の境界付近で大きくカーブを描いており「マガリ」と呼んでいました。
マガリ付近からは投げ釣りでカレイ、キスなどがよく釣れましたが、小学生特代はこのマガリで隣町の尾上の小学生と知り合ったり、にらみあったりした、子供の領分の境界でもありました。
シンガイ、ワンド、マガリ、ここで、僕達は多くの魚の種類と獲り方を覚えたのです。
*写真:ワンド(上)と金沢新田跡(下)の風景(呉田利明氏提供)