印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

リヨンの生活

2013-08-23 17:17:48 | 日記
車で出かける時、仕事場に往復する人を送っていく。街のサークルに入った時、有線はサークルのなかに入った方に優先順位があるから、出ることが出来なくて、ずっとその先の飛行場まで行ってしまう。ルールが日本と違うしどうなっているかわからない。

鱒のような魚を買うときもサクになってない。輪切りにして売る。横半分に切っているから、中骨がある。向こうの人がどうするんだ?ときく。そのままでいいんだけど、いい方がわからない。holeのフランス語を言えばいいらしいけれど。英語は通じない。

今年になって色々話が聞ける環境になっている。

中国人から仕入れるもち米

2013-08-23 17:09:54 | 日記
食生活も大変な苦労がいる。
中国人から、納豆をしいれたり、納豆菌を仕入れてくれば、大豆で味噌をつくったり。
こめも長くてぱさぱさだから、箸ですくえないから、中国人がもち米が入ったと言えば、買って混ぜて炊く。ねばっけができで箸で挟めるという。

なにもかも初めからない材料で工夫する。
近所に韓国人がいて、子供はそこのおばあさんと親しく日本語で話してくる。でも親とは日本語は一言も話さない。歴史が重くのしかかってくる。それでも身振り手振りで美味しいキムチの作り方を教わったという。

大使は全権大使ですから

2013-08-23 17:00:51 | 日記
日本を離れて他国で暮すということは、とても階級制度に気を付けないといけないようだ。
大使館夫人を呼ぶときは、レベル上、で呼ぶ。君、僕はとんでもない。「レベル君」のひとに、自分も「レベル君の言葉を使ってはいけない。動詞が違うから。

自分は「レベルあなた」とならざるを得ない。
外国は階級言葉となるということみたい。

大使は全権をもっている。防衛も文部もそのたもろもろ、全権をもって外国にいる。

でリヨンはどうなの?
フランス
は男性名詞と女性名詞だけ。

スペイン語 君、あなたの動詞の変化で地位が解る

2013-08-23 16:38:28 | 日記
主語が「君」と「あなた」で動詞の活用が違う事に戸惑って。
日本語では、「君」と「あなた。
usted(あなた)もtú(君)も、同じ2人称を指すのに活用を変える理由がある。

話しがややこしい
大使館夫人は同志にいうときは、君、僕の言葉を使う。上層階級のレベルのひとのみが同志にいう。それでそれに伴う動詞の活用が決まっている。
そして話すときは主語を省くから、動詞の活用だけで、上流レベルだと解る。

で出雲の人は、メイドさんからはマダムと呼ばれる生活でも、ここで一緒にテニスをしても、目下の言葉を使う。とんでもない大使館夫人には、君僕の言葉は使いません。

あなたは目下の人の使う言葉。あなたの階層。よって動詞の活用も違ってくるからすぐに区別がつくという。主語は省いても。日本語も主語を省いて動詞だけいうけれど、活用は同じ。

中南米はスペイン語なんでsね。グアテマラも。

マダム、サーと言われていた

2013-08-23 16:14:33 | 日記
途上国ではマダム、サーと呼ばれていた。
途上国では、メイドさんを雇用して、家の用事はしてはいけない。

つまりは階級社会が徹底している。
ヨガの友人がシンガポールに5年くらい転勤でいっていたとき。やはりメイドさんがいて、お互い同士、あそこの家はpussyとか言い合っていたという。

そういえば出雲のひとも、メイドさんに余り物を渡したとき、次からが、面倒になるという。海外に生活するということで考える訓練がついてくるのでしょうか。

自分の意見を言うことの大切さ

2013-08-23 16:03:42 | 日記
日本人はキャスターのことをよく聴いていて、しゃべる。数人のキャスターの意見を拾って言っているに過ぎないと言っている。海外で何年も暮していて、子供をそこの学校に通わせて、学んだことが大きいのだろう。

自分の考えを言わない。考えをいう教育を受けてない。自分の意見を言える環境がない。

考える訓練

2013-08-23 15:52:43 | 日記
自分の意見を発言する訓練ができている。
海外転勤組の出雲の人が言う。
向こうで、都会の国ではその国の小学校に入れていた。グアテマラなど、途上国では日本人学校に通わせていた。生徒は10人が精々良いところで6人の時もある。小さい時から意見を言う訓練が出来上がる。

どう思いますか?
答えを自分で考える。

リヨンに転勤の人も言っていた。向こうの小学校に通わせる。何もないから。考える訓練の連続。それで日本に戻ったとき、子供はいじめの対象になったという。考えることは大変なお仕事です。

班内会議の良いところ

2013-08-23 14:40:06 | 日記
一昨日の班内会議は一人休みだった。その人が、決まっていた日程の12月4~5日の鵜の岬に日程が合わなくて、いけないという。日程を変えてくれといってるわけではないけれど。それを、協力して変更できるのなら、変えようという気持ちになってくる。

鵜の岬も国民宿舎であるが、そこまでのアクセスが別途お金がかかる。お金がかからない、ホテルからの送迎型旅行がいい。そこで大江戸温泉グループのパンフレットを持ってきている人もいた。それと前日の朝日新聞の無料送迎バスフラガールのスペシャルプランの切り抜きを持ってきている人もいる。班長はこれがいいと、珍しく主張している。せっかく忘年会をsするのなら、のんびりできるのがいいと。

そうやって、海外旅行はベトナムで、全員行けるように、1月19日~5日間にきまり。忘年会もフラホテルに決まり。仕事をしている人を休ませるわけにいかないと、日程を決め、即その場で電話で申し込む。団体扱いにしてくれた。でおたくはどこの会社ですか?というと直です。直で、間に会社を入れてないから、回答が早い。送迎バスで、安くて、融通がきく回答をしてくれる。

それよりもたたき台となるprintはもってきている。それが全部変更となっても、合意の上できまっていくのがいい。決まったものを、決まった日程で、決まった行先にならないのがいいのでしょう。みんなが納得してくる。みんなで行くのが楽しめる。みんな自分の都合ををいって、それをわかってみんなが協力するから、腰痛の人も、歩行が少し困難のひとも、特別山登りが得意な人も。結構自由人が多いから。


ギアナ高地気になってきました

2013-08-23 13:32:39 | 日記
ギアナ高地とは、ベネズエラ南東部からガイアナ、ブラジルの北部にまたがる、日本の本州ほどの面積を擁するエリア。その中心部の約3万平方キロメートルがカナイマ国立公園になっており、世界でも類を見ない希少な地勢などが評価され、ユネスコの自然遺産に登録された。

 また、カナイマ国立公園内にはテプイと呼ばれるテーブル状の山(テーブル・マウンテン)が100以上存在しており、その独特な景観は、コナン・ドイルの小説『ザ・ロスト・ワールド(失われた世界)』で紹介され、世界的に知られることとなった。

SF小説にでてくる失われた世界はずいぶん昔に、世界的に大ブームとなっていた。その人山登りが得意だから、山登りかな~とおもったけれど。道がないからセスナ機かな?

ベネズエラの首都カラカスから1時間ほどのフライトで、オリノコ川の河畔に広がる中都市、プエルト・オルダスに到着する。ここはギアナ高地の玄関口だが、この先は陸路が通じていないため、小型のセスナに乗り換える
お土産話聞く機会があったら三月の班内会議で聞けるでしょう。

ギアナ高地に2月にいくから~と言う人

2013-08-23 12:57:27 | 日記
一昨日の班内会議で2月に、台湾かベトナムか~と話し合いしていた。少し前8月の終わりころ、その人が、ベトナムだと挙手していたのに。その人が2月はギアナにいくから、参加しないという。するとYAさんも私もいきたい~と言っていた。そんなに魅了するところなのか。日程がまだはっきりしないようだけど。申し込みはいまごろだろうか。13日間だと自分が印度ヒマラヤに行ったのに匹敵するかな。ギアナには山が二つあると言う。

世界一の落差979mを一気に落ちるエンジェルの滝は秘境ギアナ高地にあります。落差は東京タワーの3倍、ナイアガラの滝と比べると15倍以上も有ります。この地域には、テプイと呼ばれるテーブルマウンテンが100以上もあり、そこに見られる植物の75%がその地だけの固有種と言われています。

グアテマラに行くのにロスでトランジット真夏でも寒い

2013-08-23 00:21:50 | 日記
もう一人の出雲の方は、先日出雲にかえっていて、今日はコーラスにきていた。
それで聞くとグアテマラに6年、エルサルバドルに、6年、コスタリカに○年、最近はセイロンに3年ほど行っている話はきいていたけど。

グアテマラに行く時ロサンゼルスで、トランジットする。8月だったけれど、夜中の12時で、真冬並みの寒さで、ぶるぶる震えて。夏服しか着てなくて、子供三人を飛行機の中で、体で温めたという話にびっくりした。昼はあったかい。だけどだけれど夜は寒い。空気は乾燥している。


自由の女神の近くの島、移民の受け入れエリス島

2013-08-23 00:01:59 | 日記
雫石の人、転勤でアメリカニュージャージー州に住んでいるときの話し。
自由の女神の島の近くの島に昔税関があって、子供の学校の歴史の勉強でその島の事が出てきた。それで家族でその島まで歴史見学に行ってきたとの事。

島に歴史博物館があって、当時の移民の検査の様子が、絵が描かれて壁に展示していたという。
自由の女神を訪れる際には、バッテリーパークからフェリーで像の建つリバティ島に上陸するだけではなく、1892年から1954年までアメリカ上陸前の手続きや身体検査の行われたエリス島にも立ち寄って移民博物館を見学されることをお勧め ...

といって家族でその島にみんなでいったという。移民の人はここが通過点となっていた。許可が下りなくて、それかといって国にも帰れず、海に飛び込んで死んでいった話など。そういう悲しい話も聞かされた。。今の方たちはここを通過して入った人々の子孫なのですね。

今思えば、ニューヨークに何年か前いったとき、やはりマンハッタンからフェリーでこの島に上陸してうろうろした。けれど、こういう悲しい話までは知りませんでした。したがって移民博物館までは行ってこなかった。ここで6年間も生活したから、知りえた話ですね。