印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

Trekking of Himalayas

2010-07-31 21:43:09 | 日記
世界の高峰10のうち、8峰を擁する世界の屋根ヒマーラヤ山脈。世界一のエヴェレスト(チベット語ではチョモランマ、ネパール語ではサガルマータ)がネパールと中国との国境にあるため、ヒマラヤというとネパールのものだというイメージがある。が巨大な山脈の半分は印度の北部に広がっている。
印度でのトレッキングの魅力はバラエティーにとんだ景色が楽しめること。標高7000mを越える山々を仰ぎ見ながら、ヒマラーラヤの懐にいると世界を実感してしまう。

・ネパール側からは3/28~ルクラ(2804)3/31~モンジョ(2835)3/31~ナムチェ(3440)4/1~タンポチェ(3867)4/2~ペリチェ(4252)4/3~トゥクラ(4620)~4/4~ロブチェ(4930)4/415:30  ナムチェで1人逗留  ロブチェで1人15:30からペリチェまで下山する。ロブチェまで一応登りきってから下山する。それぞれ、自力でその時の身体状況に応じて過ごしている。
これはエベレストのベースキャンプの方へ向う下見である。娘とその友人計4人でのガイドなしポーター1人)のエベレスト街道。それぞれ1人になり、現地の外国人と過ごしている。
連れて行ってもらっているのではない。一緒に行っているのだ。1人になったら自力で日本に帰ってくる心づもりももっている。

印度ヒマラヤトレッキング

2010-07-30 22:21:31 | 日記
 印度の地図を広げてみると。登山とは違った「トレッキング」の面白さがある。登山、トレッキング、ハイキングなど山に関して面白みはいろいろあるだろう。
 インドヒマラヤは山々に囲まれて、袋小路に見えるのだが、実はその先に古くから現地の人々が歩いている道が続いている。その道をいけば、知られていない世界がある。そこにはチベット仏教の寺院があり、人々は敬虔な宗教のもとで生きている。いろいろなまやかしの権力の幻想に曇らされている人間の目には見ることができない。その昔仏教が直面した最大の危機、つまり西方からしだいに勢力を拡大してきたイスラム教が次々と仏教寺院を墓石、書物をもやし、改宗をせまった時期があった。それで仏教は「隠れ里」の戦略でこの奥地へきたとかってきいたことがある。
 俺らの面倒をみてくれたガイドの人も、キッチンの人もこの世の他で見たこともないほど純粋さ、敬虔さで満ちている。自分の命を落としてしまう壁ひとえのシチュエーションでも、人の命を助けてくれると信じられる。命の危うさをたくさん見ているからなのか。
 軍事上の都合でクローズされている地域でも、解禁されているエリアもある。インドはチベットやパキスタンに接しているので、いずれ平和が訪れれば、ワクワクするようなルートができるかもしれない。何人かの専門家すでに魅力に誘われて行っている。カイラスの聖地巡礼などもテレビで見た。

 

あこがれのCBrange

2010-07-30 07:25:44 | 日記
書物にかいてあるのはいろいろあるが。高度順応について体がトレッキングの準備をしてくれるのを待つ。少しずれたようだ。ヒマラヤに来て3日目は4000mのロータンパス(峠)へ、ブルーポピー見物をして高所順応ハイキングへでかける。
Difficult drive.
Your drive skil is very well!
Mr.Rum, guide, speak to me, that are CB range, and that is LAHAUL VALLEY, and that is SPITY valley.

つまりは左から LAHAUL 真ん中が CBrange そして右がSPITY (ラホール、CBレンジ、スピティ)である。ここから見られる山脈、CB山群などの山々、十分素晴らしい。ここはれっきとした、ヒマラヤ地域だ。かなり体がトレッキングの準備をしてくれる。山肌を下っていくと、高山植物の花が咲いている。あやめ、桜草の原種、などいろいろな花が斜面に咲き乱れている。

keylong-udaipur-killar

2010-07-29 19:26:22 | 日記
俺がマナリーに滞在しているとき、7人の女性グループにあった。これからテント泊なんと9泊。リーダーの女性はブータン4回、中国側のヒマラヤ、またインド側ヒマラヤなど迫力あるベテラン。出発は大雨でみんな、大きな荷物にリュックカバーをつけていた。車4台、運転手4人、ポーター、キッチンスタッフ、ガイド 計4人総計8人のスタッフがつく。
コースもさらに秘境となる。Rohtang-Passより左に延々といくようだ。
UDAIPUR(2650m)-KILLAR(2750m)-khargsar(ウダイプールーキラールーカングサール)
この大雨でおそらくどこまでいかれるか。道は土石流でずたずたで、大石が軽々と斜面をころがってくるだろうし、足はセメントのような土が沼のようになって、そこにはいりこんで、ぬけるにぬけそうでなく、難儀するだろうし、斜面の道がどこまで形が残っているか。おそらく斜面の道は平均台の幅くらいで、渡りそこなえば崖下へなんて、それこそ崖っぷちなのである。かってに心配している。

エスケープルート候補として ShivShankar CHAMBA(996m) KEYLONG(3350m)など

徒渉 脱出劇

2010-07-29 18:42:29 | 日記
ヒマラヤの道は、はるかに高巻きを強いられることもあり、腰までつかって徒渉しなくてはならないこともある。落石に遭うこともある。
こういう文章を写真集で読んでいた。遠くの話だと思っていた。帰ってからwebで読んだり、誰かの話を聞いたり、手記をよむと、大半がこういう話でそれもありかと実感している。
山荘にいて、最後の夕食のとき話が飛び込んできた。俺たちは明日朝5じに出発でデリーへ向い帰国となる。なので、直接話はきけない。ロータンパスまできていて、道が遮断されている。向こうがわ専用車はstop。こちら側はマリーまでしか迎えの車はいけない。彼女たち4人は徒渉することになったようだ。早朝に聞いたのだが、夜10時について、3階の部屋でまだ眠っているようだ。こういうことはよく心得ている山荘のオーナー。脱出劇の話はほかでも聞いたことがある。

landscape

2010-07-29 18:31:57 | 日記
キャンプ地の山に映った朝夕の斜光線が、刻一刻と表情を見せてくれる。
あらゆる生物を拒んでいるのに、この美しさを見れたことに感動する。
周りには放牧の馬、それから二日目は放牧の羊たち。広場一帯に雪解け水から一斉に咲いた高山植物。それらを食む馬たち。やさしい目をしている。朝にはテントの側まで来て、こちらをみても驚きはしない。

Vashisht

2010-07-29 17:12:55 | 日記
ヒマーチャル・ブラデーシュ州のマナーリの近くにバシスト村がある。ここに山荘がある。山の斜面に家々がいくつかあって、車からおりて、オートリクシャにのるには、上の広場へ斜面の階段状の岩道を登る。オートリクシャでは15分位だろうか。歩いてマナリのバザールに行くには斜面の岩肌の道をおりて、自動車道にでて30分ぐらい歩いて、ベアズ河を渡って行く。
ヴァシスト村からみる景色は緑の山々、りんごの林、雪渓の山々とすばらしい。

オートリクシャには1人で2回ほどのって、バザールにいってきた。行きはよそ者は50ルピー。地元の人は30ルピー。マナーリのバザールに行くときは「バザール」(ザにストレス)または「マナーリ」(ナにストレス)と言えばいい。帰りは1日目は90ルピー、2日目は80ルピーであった。帰りは「バシスト」(シにストレス)運転手が何回も聞き返すので、覚えた。(地元の人は70ルピー)チベットの人たちはとても純朴で人慣れしてない。人を騙すことはないがせいぜい10円か20円の違いをよそ者に取るくらいのかわいい世界である。

尤もマナーリにいけば銀座なみの人々で賑わっている。日本人にはあまりお目にかからないが、店によっては、カシミヤの店は山荘の名前の価格があり、かなり安く買えるし、交渉もできる。人間だから嫌味なくやれば少しは安くなる。両替もデリーよりはかなりいい。デリーではとうざの両替をするのがいいと思う。

MANALI, India

2010-07-28 20:30:22 | 日記
やっとマナーリのことを書くことになった。結局俺はここに6泊したことになる。
ベアズ河の流域に広がる緑の畑、りんごの木の林(南インドに収穫時期には運んでいるらしい。)ここまで来る途中の村には日干し煉瓦の赤いブロックの村落がいくつもあった。ここから4000メートルの峠を越えると可憐な高山植物のはえる川辺の平原がある。

ZANGSKAR  ザンスカール

2010-07-28 19:43:51 | 日記
ZANG と SKAR を見てると先日土曜日(24日)の中国語の発音をなにげに思い出す。guan とnで終わる発音 と huang と最後 ng で終わる発音の違い。音叉のようだ。

チベットの世界のそこここにベユルがある。その一つがザンスカールである。と思う。決していけないようなところである。
ヒマラヤの山腹地帯抱かれた峡谷にはカンドーリン(空を行く女神の意味)が存在していて(その峡谷の街はマナーリ、シムラーなど)その近くにベユル(隠れ里という意味)の伝説が語られていた。日本でも似た伝説、物語はよく聞く。そこにいくのに若者が大変な苦労をする話。

ザンスカールはラダックの奥にある。インダスの大河に注ぐザンスカール川は、1月から2月にかけて、結氷し、氷の道となり、ザンスカールに暮らす人々の生活の道に代わる。ここ辺境の村からラダックの中心の町「レー」へ道が開かれる。-25度Cだよ。以前テレビでみたことある。
この近くにはパーミットの必要なエリアが何箇所もある。

Ladakh, India

2010-07-28 18:42:04 | 日記
ラダックとは、チベット語で「峠越え」の意味。北印度、標高6000メートル級のヒマラヤの山々の懐に、敬虔な仏教徒たちが暮らす山里がある。印度マナーリからデリーにいって、デリーで一泊する。せざるをえない。マナーリを朝5時にでてデリーに車で着くのは16時間の旅でくたくたに疲れてデリーのホテルに着くのは夜中の9時過ぎになる。
偶然帰りの飛行機のなかでラダックについてかいてある記事をみつけて、夢中でみる。

岩肌の山々の間に天空の村々と僧院がある。雪解け水で灌漑した谷間の畑には、菜の花がびっしり咲いている。剥き出しの荒々しい山中にあって、涼風にそよぐ一面の菜の花は豊かさを漲らせている。宝石のようで、女性たちは家畜の餌にするため菜の花をつんでいる写真がのっている。笑転げているおばあさん、お母さんたちの服の色は真っ黒で、同じ黒のだぼだぼのギャザーのロングスカート、下にズボンを重ね着している。色は赤とか黄土色。靴は今日本でもはやっている穴があるやわらかいビニール素材のグレーのつっかけ。赤のベスト、赤または黒の帽子、スカーフを巻いている。このお花畑は俺らがcampした風景にも似ている。
ここいらはチベット高原になるだろう。
<ラダックへのアクセスとして  デリーまではJAL。デリーから他社便に乗り換えてラダックの中心地「レー」へ1時間>とある。こんな秘境に本当なのだろうか。地図でみるとマナーリよりいくつも峰越えした奥地である。「レー」は観光客がくるようで、「レー」のレストランでは肉料理あるようですが、ラダックの人々はベジタリアンである。

Simla "Lispeth ”by KIPLING

2010-07-28 13:20:00 | 日記
Simlaは「 Lispeth 」という小説にでていた地名だ。去年英文で読んでいた。The jungle book(1894)の作者Rudyyard KIPLING (1865-1936) による。ヴィクトリア朝の大英帝国主義の合致する詩で人気がたかく、1907年イギリス最初のノーベル文学賞を受賞。
Lispethはヒマラヤ女性で、シムラに訪れたイギリス人青年と恋をし、約束をし、捨てられていた。テーマは人種の違い、文明の違いだろうか。ヒマラヤの風景が実に雄大に描かれていた。どんなところか見たいと思った。

「シムラ」は「マナリ」と同じヒマチャール・ブランデーシュ州に属する、気軽にトレッキングを楽しめるエリアに属する。(といっても、ヒマラヤは道路崩壊、土砂崩れと隣り合わせ)デリーから来て、マナリー方面とシムラ方面に分かれるようだ。
「ラダック」という秘境がある。敬虔な仏教徒が暮らす山里がある。ここはジャンムー・カシュミール州に属し、ここ以外は治安が不安定なので立ち入られない。

シムラーは 2800m 夏は雲の上でシーツがべとべとしている。洗濯物が乾かない。
マナリーは 2200m 似たようなもの、高さはね。イギリスが初めカルカッタを総督府にしていたが、湿っぽいのでデリーに代えた。デリーは暑いので、シムラーを夏の間の総督府にかえた。猿が多い。

ここマナリーと似たような街のようだ。イギリスの占領地時代の建物がホテルとしてある。新しい建物はできてないようだ。綺麗な建物でムンバイあたりのお金持ちが避暑にくるようだ。(いろんな人の話から)




kunzum pass

2010-07-27 11:35:03 | 日記
6月の終わりから7月にかけて、雪が解け始め、雪解け水が流れる。そのころはモンスーンの時期で雨が多い。またそういう時期でないと、お花は咲かない。ちょうどいったときは、晴れでしたが、是もつかの間の絶景のプレゼントに過ぎなかった。雪が降ったという情報がはいっていた。ヒマラヤ連山にはいって、2日目はダダルプーのキャンプ地(3400m)からスピティ方面のクンザン峠(約4800m)へ、そして、チャンドラー目指していき、なだらかな下り道をトレッキング開始して、CB山群の景観を愉しむ、ということだった。しかし雪のためクンザン峠より奥は通行禁止となっていた。

パキスタンよりインダス川の支流のchandra riverが滔滔と生コン色を呈して流れている。周りは見渡す限り、剥き出しの荒々しい山々と岩とガタガタの道路である。そしてクンザン峠より地図をみると、C12,13、~57 と連山がある、高さも 6264、 6248、 5944、などと高い。

4日目は氷河も目指すようだが、天候の変化。大雨、土砂崩れ、土石流 こういうのがあり、中止となる。予定は深刻な状態に陥り中止となる。そして思いもしない死と紙一重の過酷な出来事に遭遇するのが本当のヒマラヤとでも言える。

二本目のタルチョ

2010-07-25 07:39:46 | 日記
「チベット」
・二本目のタルチョは祈る西日受け   美知
・二本目のタルチョ色鮮やかに山滴る  美知
・寒々とはためくタルチョモンスーン  美知
・仏教の家はタルチョはためくモンスーン  美知
・色褪せてタルチョ破るる大西日    美知

ブルーポピー

2010-07-25 06:30:14 | 日記
・破るるほどはためくタルチョブルーポピー   美知
・ヒマラヤの天空の砂漠ブルーポピー      美知
・鉱物の剥きだし密かなブルーポピー      美知
・大岩のわずかな居場所ブルーポピー      美知