印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

神仏習合

2010-11-30 11:16:25 | 日記
先日飯能から竹寺にいったとき、寺名は八王寺で、お寺のようであったが、鳥居もあった。茅の輪くぐりもあった、牛頭明王像もおおきな厳つい恰好をして鎮座していた。本来ならは竹寺は結願寺であるので最後になるのだが、12月1月は山眠る季節となり、訪れることに難儀する。それで先に訪れた。八王寺は明治元年の神仏分離令にもれたことで、お寺とお宮が同居している。江戸時代は人別帳作成のために、お寺が幅をきかせていた。ときいている。日本全国の人の管理のために、全ての人々をお寺の檀家にしたようだ。

それでそれまであったキリスト教も踏み絵で選別して、改宗させたようだ。それで、神仏合体させたのであろうか?今は巡礼で寺をまわっているけれども、現地にいってみて、そこにかかれている、看板などをみると、初めて認識することにであう。

竹寺から、巡礼のように山道をすすんで、子の権現につく。天龍寺というがここには檀家をとってない。と書いてあった。しかしさびれてなく、りっぱな寺であった。鉄のおおきな草履も寄付して供物としてあった。おおきな真かっかに塗り上げられた仁王像もずしんとたっていた。敷地もひろく、眺める景色も抜群であった。数年前に来たときにはなかったという、来客用の立派な屋根付きの大きな駐車場もあった。ここをとおらないと下におりられない。もちろん住職の住居も崇高な生活ぶりを思わせるものであった。登山者が通る道が回り道なのが気になった。回り道に気付かず、竹寺から続きの道を通りました。そこは違っていたのでしょう、無視に遭いました。その方が納経帳を書く方でした。人間味を感じました。住職のかたがあちらのほうが、紅葉がきれいですよといってくれたのにも、人間味を感じました。

風邪をひいてしまった

2010-11-30 07:03:42 | 日記
足の痛さは薄れてきたが、こんどは風邪をひいてしまった。髪を短くしてから、急に寒くなってきて、ぞうぞくしてくる。昨晩は鼻水でこまった。だから今はマスクをしている。明日は巡礼だから、こまっている。「西所沢」から「狭山ヶ丘ま」で、約7キロ+で、4つ寺をまわる。県道のバス道で「ルート179」だ。なんとかなるだろう。以前もくらくらして、ふらふらして、まいったことがある。

大連ってどう謂う所?

2010-11-29 11:18:42 | 日記
そうだな、池袋みたい? 仙台に似てると言ってる人もいる。大抵の外国の都会では1000円の安宿あるけれど、大連には歩き方の本に安宿はない。と書いてある。

知人がそう遠くない、来年早々に就職が決まって、決心するにあたって聞いてきた。1社は内定していて、もう1社候補にあがっている。有名企業が大連のoffice街に軒を連ねているようだ。揺れ動く心中を推察する。いけば1~2年ではないようだ。

オレの友人が四人そこで職を得て働いている。三人はまだいる。おそらく来年度も大連で働いているだろう。一人は帰国されたので、いろいろ話を聞いた。来年1月末に一人いくようだ。2月末にももう一方が出国される。招聘書がやっと届いて、就労ビザなどの手続きも済んだようだ。今度は西安と言っていた。地続きの話を聴くためのmissionであったのだろうか? 

イスラムかぶれ

2010-11-29 11:16:11 | 日記
 2001年9月11日 アメリカで起きた同時多発テロ事件以来、「イスラム原理主義過激派」という用語がたびたびでてくる。武力を使ってでも主張してくる。友人のなかに、イスラム大好きとイスラム圏しか旅行の射程に入れてない人もいる。年賀状はいつも、ツーショットの写真つきだ。他にこの地域と貿易をしていて、アラブの部族の王様からカーブのある刀を譲り受けた人もいる。税関にて説明が大変だったようだ。「イスラム教徒」「イスラム原理主義」(イスラムの理想に帰れ)数学の集合の概念でしか、わからない関係である。オレは春ごろサウジアラビアの人と1か月くらい、言葉を交わす機会があったが、概念が形になってきたかな、くらいでしかなかった。

 サウジアラブ人のその人、年賀状の2枚をみて、ターバンの巻き方、色、模様、来ている衣装で、この人はイスラムの宗派は○○で、地域はモロッコで、とか、ヨルダンでとかすぐに言い当てる。


外国かぶれ

2010-11-29 11:08:17 | 日記
 あいつは外国かぶれだと、きやすく嫌味に聞こえる言い方をするヤツがいるけれど、オレはそうは思わなかった。イギリスとか、シドニーとか、東チモールとか、生活の大半をそこで送った人にとっては、真剣勝負の場であったに違いない。突然ロシアが日本人居住地に攻め込んできた時、真っ赤に燃え上がる自分たちの住居の炎に震えながら、着の身着のままで逃げ延びたと聞いた。外国かぶれとは、いずれの人にも簡単に浴びせる言葉ではないと思う。自分の無知を曝け出しているにすぎない。

  

ミニタリーポリス

2010-11-29 08:08:08 | 日記
 2002年5月、中国・瀋陽の日本総領事館に、北朝鮮からの越境者5人が亡命を求める事件が発生しました。武装警察官と武装もしていないのに、言っていた。日本の警察は一種類だけだが、外国は違う。世界では軍隊組織の一部である警察部門と純粋な警察組織の二種類がある。

 去年の暮れに大連にいったとき、数人と街を歩いていて、そういう建物があって、こちらは文民警察官の方だと教えてくれた。彼から前年葫蘆島でおいかけられたから、全速力で逃げ切ったという話を聞いた。こちらはミニタリーポリスだったのでしょう。アメリカでは「MP」、日本では戦前、戦中「憲兵」という組織があった。国連のPKO活動では、「文民警察官」とよく聞く。ミニタリーポリスは主として軍隊の内部で兵士の犯罪を取り締まる警察であることが多いようです。

軍隊とミニタリーポリス(武装警察)、文民警察という三つの組織区分があり、瀋陽のミニタリーポリスが瀋陽の日本領事館に立ち入ったようである。彼は瀋陽で生まれて、瀋陽で小学校高学年まで育った。終戦まで。

 あいつは外国かぶれときやすく嫌味に聞こえる言い方をするヤツがいるけれど、オレはそうは思わなかった。イギリスとか、シドニーとか、東チモールとか、生活の大半をそこで送った人にとっては、真剣勝負の場であったに違いない。突然ロシアが日本人居住地に攻め込んできた時、真っ赤に燃え上がる自分たちの住居の炎に震えながら、着の身着のままで逃げ延びたと聞いた。外国かぶれとは、いずれの人にも簡単に浴びせる言葉ではないと思う。自分の無知を曝け出しているにすぎない。

あいつは喋り過ぎだよ

2010-11-29 07:15:57 | 日記
 打ち上げで、あいつは仕切り屋だからね。あいつは喋り過ぎだよ。外国かぶれしている。などなどいうが、本当に外国ばかりの仕事だったようだ。日本の常識、知識しかないものにとっては、聞く話は数多ある。少しcatch ballしてみると、共通の話題、共通の人物が網の目に引っかかってくる。そこから話題が広がってくる。聞き上手になると、さらに面白くなる。今まで静かな人だと思っていたが、教えをこうように聞き上手になると、大抵の人が口を開くものです。

 

大宮の試験会場、脳の流れ

2010-11-29 06:26:27 | 日記
 昨日大宮にいった。検定試験を受けた。初めに説明がある。受験票の顔写真の照合が終わると退室していい。その前に退室すると無効になる。100分の試験時間だが、終了10分前に告知がある。それからは、退室不可となる。携帯電話の時刻設定は解除して下さい。マナーモードも不可、音の出る手机も不可、鉛筆と消しゴム以外は、机の上に置いてはいけない。ペンケースも鞄の中へしまって下さいという。携帯の時刻設定って電源offにしていても、timeがくると、知らせてくれるんだよな。携帯は息を取戻して、復活している。熊野古道の山にいったときも、ニューヨークのクリスマスツリーを観に行ったときも、携帯電話は復活していた。とじんわり思い浮かべる。

 こう聞いてくるうちに、モードが切り替わってくる。教室といっても大部屋の会議室で、数えると100人はいそう。10人の列が10列ある。この級はまだ別室がある。4級は300人弱で、3級は320人くらい、試験会場を表示している受験番号から読み取れる。

 試験が始まり、試験管が一人一人、顔写真の照合をして回ってくる。そんなことお構いなしにこっちは鉛筆をはしらせている。リスニングはちょっと油断すると、聞き漏らしてしまう。一回放送が流れて、すぐに問いが始まる。緊張しているから、問はわかっても、本文は真っ白で、聞き漏れているから、答えのだしようがない。本文が流れているのはわかるが、水のようにざるからもれている。聴き漏れるもなく、聞き取れていない。もう一回本文が流れるので、問に対する本文のkeypointをchedkする。

 なるほどだから、本文ははじめ1回流すのでいいのか。もう一回聞いても同じ状態だからな。始めは地ならしかな。人間の脳の判断の流れとはこういうものなのか。人との会話も同じだな。人に話をするときは、大抵最後の一言くらいしか、通じてないからね。

2010-11-28 06:59:29 | 日記
句会で樒の句をだした。樒は初めて、前日知った言葉であった。帰りの乗り換え駅の秋津の通りの花屋の店先に並んでいた。その木は子どもの頃より、山で猿のように遊びまわっていたので見知っていた。葉っぱの形も知っていた。花屋で売っていたので、すぐに認識できた。花屋のおじさんとおしゃべりして、いろいろ教わったので、行きがかり上樒を買いました。しかし樒を句にいれていいものか迷っていた。季語ではないからね。歳時記にみあたらないし、なじみがないし、タブーな分野かもしれないし。冬の歳時記をみていると、偶然出会った。当日席題でどんな季語をいれようかと、苦慮しながら、歳時記をめくっているときであった。ざるの網の目にかかってきた思いだ。

この句はどういう意味ですか?容赦もなく合評で質問の矢がとんでくる。トトロの森で…というと、さらにまた急所を射抜かれる。説明しなくてはいけない句は俳句ではない。みなさんの手綱は緩まない。手厳しい。たじたじとなるのだが、そこがまたいい。中途半端な馴れ合いは掃いて捨てるほど世間にはある。うっとおしいくらいに。

司会者が助けてくれた。「幕末の志士の墓がある、回向院に行った折、お参り用に樒がうっているのでそれを買って、墓に手向けたよ。」寺院の檀家のかたがたが、その寺院で菊の花が売っていて、○○家の墓に供える。そんな感じで幕末の死者の魂に供えるのに、樒がうっているに違いない。また言っていた「土葬の山のなかで、根が張るから、キツネなどが掘り返さなくて、いいんだよ」。なるほど店屋の店主が言っていたのとも辻褄があう。「根がついているから長持ちするよ」。ここの樒は根がどっさりついていた。新興宗教で用いるらしいので、少し敬遠していたけれども、樒の歴史的背景を考えると、そうでもなくなってきた。死者にたいする弔いに用いる敬虔な植物であるようである。そこまでしか今のところ知識がない。樒に実があるのだろうか。柚子の実と組み合わせた句でここでも矢がとんできた。

・山里の樒ふっくら年を超す        美知
・トトロの森の樒こんもり冬に入る     美知

湖畔

2010-11-28 06:27:08 | 日記
 昨日は皇居一周ウォーキング葵の会の第一回に誘われていた。こちらとダブルブッキングしているのですが、足が痛かったので、すんなりこちらにきたわけだが、足の故障がなければ、どうだか?

 こちらにくると、今回から席題がでることになっている。兼題が『柚子』で前回オレがだしている。
席題は?ときくとまだでてないという。不公平になるから、みんなが揃ってから。ドキドキして待っている。と、席題は第5番目に来た人に決めてますので、今日は…ということで、オレになった。「季語に関係なく決めていいよ」じっくり考える。いつもの携帯メモノート5冊をもってきていたので、(全部のバッグのなかのをいくつか、かき集めてもってきていた。)まだ柚子を思いながら、バスのなかでなどイメージをふくらませていた。推敲も重ねていた。重いけれど最高のものを引き出したいがために。司会者はいう。「季語こ関係なく、こに来る道など、まわりの景色とか。考えて決めていいよ」しばらくかんがえて、「湖畔にします」と切り出した。オオッという感じにみんなざわついた。


 昨日狭山湖にいったおり、湖畔の望遠鏡の列、オオタカの大空を悠々とまわっている舞、とかてっぺんにとまっている、チョウゲンポウを思い出して『湖畔』をだした。席題にオレはまさに「一日の長」を持っていた。有利でもあった。高峰美恵子さんの湖畔の宿を誰かが唄いだした。もう湖畔の宿の歌ながれなくなったのですって、だれかがいいだした。湖畔の宿の舞台となった湖の観光用デモテープの話である。


 懸命に試行錯誤している時間がながれていく。思索のタイムは吟行のタイムとも似ている・その場の平等の持ち時間で思考するからね。
とても面白いこころみと思う。 それにしてもみんなの当日句はとてもすばらしいものであった。9人でしたけれども、どれもすばらしく、感動してしまった。あまりにもすばらしくて、オレは選句で当日句の一つを天賞に選らんでいたくらいだ。当日句では、その句が最高となった。オレの句も同じくらい点がはいっていたけれど。天を入れている方が上になる。(天はオレがいれている。)選句も俳句では重要なfactorとなるので、疎かにできない。

・大鷹の湖畔の舞や冬に入る    美知

入定にゅうじょう

2010-11-27 07:37:38 | 日記
引導地蔵が西武ドームの近くの金乗院(山口観音)の境内にあった。
弘法大師様が入定(死亡)された時振り返って見送られたままの姿は大変貴重です。とあった。地蔵は少し横を向いていた。こころなしかゆったりとした、ふくよかな顔をしていた。


※定の⑦仏:雑念を断って心を静めた境地。禅定(ゼンジョウ)。「入定=定ニ入ル」(漢字源より)
※入定の②:[仏]聖者が死亡すること。平家物語(10)「御ーは承和二年三月廿一日}(広辞苑より)

オオタカの舞

2010-11-27 06:52:13 | 日記
堤防からは狭山湖の素晴らしい景観が楽しめる。狭山湖のまわりにはオオタカがいて、青空に悠々とまわって飛んでいた。おおきく絵をかくように、まあるく飛んでいた。思わずシャッターをおしたのだが、空は雄大で、空しか判明しない。…何も見事写ってこない。悲しいかな。

大鷹はタカの一種で。背面は灰黒いろ、腹は白地に細かな横斑がある。日本にも鷹狩として、昔から慕われていたようだ。


左足は大股になりやすい

2010-11-26 21:49:47 | 日記
山を下るとき、左足は大股になりやすい。ついにものしりさんから、聴くことができた。オレの知りたいことを聞きえた。やっと答えに辿りついた思いだ。それから、子の権現から吾野駅に下りるのは急な下りが結構長いよ。いろいろ話しているうちに、左脚の腰のあたりと膝がいたいのは、左足の自然となってくる大股と下りの長さによる、炎症かなとも思えてきた。そう思うと少しは先が見えてきた。靭帯裂傷かとも思ってしまっていたから。友人がトルコで坂道を下る際に手をさしのべてくれたがっつい異国のひとに、体重をあずけて、段をおりたら、思わずころんで膝の靭帯をプチンと損傷してしまったひとがいる。今年の春の出来事らしい。ひたすらsorryの連発を受けたが、痛くなるのは自分だからね。いまだに難儀している。使わないと筋肉かたくなるよ、筋肉の裂傷による、神経への圧迫。まあしろうと判断は永遠につづく。

巡礼に一緒だった人も言っていた。腰の筋肉の中が痛い。ついにオレも焼きがまわりましたね。3週間は気をつけておこう。サポーターもつけっぱなしはよくないらしい。以前そう聞いたことがある。

会話のpoint

2010-11-26 21:16:35 | 日記
西武球場前からここへは30分くらいでこれるが、9月から、毎月1回来ているが、いつも新しい発見にぶつかる。季節も違ってくるし、くるメンバーも少しずつ違ってくるので、会話のpointに面白さがみつけられる。

今まで来たことによる知識で、自分をおおきくゆさぶることができることが、鍵となるでしょうか。新しい人にであって相手のいい話を引き出せる。この大きな鍵を使えることが楽しい

チョウゲンボウ長元坊

2010-11-26 20:33:14 | 日記
 狭山湖の長い岸に沿って堤防があるのだが、三人ほどのおじさんが望遠鏡を三脚に立てている。三本の望遠鏡はどれもある方向の同じpointを向いている。それが何かがわからない。「何を見ているのですか?」と思わず近寄って、声をかけてみる。「見てもいいよ。」というので、お言葉に甘えることにした。その望遠鏡を覗く。ワッワッワッワ!『チョウゲンポウ』がはるか先の数本たっている鉄塔のてっぺんで遊んでいる。あっち、こっち、ときょろきょろしているのが望遠鏡の画面いっぱいにみえる。画面いっぱいに煉瓦色の物体がはまっていたいる。そこから目を離すと肉眼でも見える。餌をたらふく食べて休息timeでもあるかのようだ。とてもかわいい。愛おしい。猛禽類ではあるのでしょうが。


 トビの仲間で、バッタやカマキリを食べるという。歩いているとカマキリが道端にささくさと、頼りなげに何回かでてきているのに出会う。今は餌が豊富にあるようですね。体は煉瓦色をしていた。橋桁に案内用の絵が描かれているのですが、まさにこの絵の通りの形です。そして生きている証に首をカシャカシャと動かしていた。はてなはてなと厳つい目を移動させて、正に勇者の風格を醸し出していた。横にいたおじさんはながめすぎて、去りがたく、いつまでも楽しんでいるようだ。

 鳥って眺めているだけで、楽しさを提供してくれているのですね。だから見ず知らずの通りがかりのオレに、聞くといろいろ説明してくれる。不思議な仲介者。

※ちょうげんぽう:タカ目ハヤブサ科のとり。小型で、ネズミを主食とする。背面は煉瓦色、腹面は淡褐色で背腹ともに黒斑がある。ユーラシア大陸に分布し、日本では本州で局地的に集団繁殖し、天然記念物になっているところもある。秋冬の頃原野に多い。(広辞苑より)