印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

スポーツ安全保険

2011-06-30 18:14:29 | 日記
花と緑の散策の会の人が14人いる。団体保険を年間でかけるには、頭数20人いるそうで、名前だけ貸してといわれた。するとほかの人が名前かして、も自分で払わないと心苦しいよね。という。逆に彼らはお金を関係ない人から払って貰って心苦しく思わない人種なのだ。

つまり、14人の内9人が同じ班でこの中の一人が名義貸すならお金もはらってね。と理屈に合わないようなことをいいだしている。他の人の名前の人の分を自分たちがカバーするのに異論をいっている。ほかのクラブ員兼班員も圧倒されてなにも反論の言いようのない雰囲気になってしまっている。つまり名義もかして、その対価のお金もはらい、幽霊部員の身分である。

原案のprint

500円×20名 =10,000
を14人しかいないので、
800円×14名=11,200円とし、残金をクラブ運営費の雑収入にする。

と言う原案は一瞬にして反故にされた観があるね。

6人だけ名前だけ貸してといわれて、…
そのうち、幽霊部員のための、番外で計画ができていくようだ。11月に東京大地震があるから、10月に霧降高原にいこう。なんて話が盛り上がったけど。どうなるか。つきあいだから。


名前とお金もはらって、花散策クラブは7月6日に早速、高幡不動のあじさいと深大寺でごはん食べるようだ。わりびきたって、ちょっとなんだけなんだから、へんなひと。

それにしても幽霊部員はなさけないね。でも年間で500円の保険ってあるのかしら。

埼玉県園民活動総合センター

2011-06-30 17:53:32 | 日記

昨日から今日一泊で埼玉県県民活動総合センターに用事があっていってきた。すごくきれいな設備で、びっくりした。10年前に利用したことがいた。ここはできて20年はたっている。という。ニューシャトル大宮から25分、そこから無料バス3分でつく。なにもない郊外に大きい建物がたっている。まるで、中国にいったときににていた。大連外国語学をみたときのようだった。自然が広々としたところに、たっているような感じだった。

交通の便利のいいところにあれば、気軽にみなさんが利用できるのにと思う。

沿革

平成元.10.1
ボランティア活動、社会福祉活動、社会教育活動(視聴覚教育活動を含む)、女性活動、青少年活動及び高齢者活動などの諸活動並びに県民一人ひとりの生涯学習活動(以下「県民活動」という。)の助長、促進を図り、県民の文化的向上と福祉の増進に寄与することを目的として、財団法人埼玉県県民活動総合センターを設立(平成元.10.1)。県民活動の拠点施設、埼玉県県民活動総合センター(北足立郡伊奈町)の管理運営を埼玉県から受託する。
平成2.4.1
「埼玉県県民活動総合センター」が一部オープンする。(事務棟(情報センター含む)、研修棟、小ホール等、全体の約60%)
平成3.4.1
「埼玉県県民活動総合センター」が全面オープンする。(宿泊棟、体育館、茶室・和室、運動場、テニス場

風邪薬

2011-06-29 11:01:10 | 日記
伊奈町に講座をききにでかける。大宮のマツキヨで薬を買う。
総合感冒薬28包いり ペラックかぜ薬  第一三共ヘルスケア(株)
1480円
アリナミンV50ML
273円
ドロップ ベラックスイート 399円

中国で感冒薬買うため薬やで色々聞いて買おうとしたこと思い出す。ひとはこ210元で三箱必要と言われて、レジで支払いして、その領収書を薬のカウンターの薬剤師?にもっていって、薬と引き換えのシステム。目の前のおなじ部屋だかで。その前に、薬の効用にも信頼性がきえてしまって見えてこなかった。

QRコード、二次元コード

2011-06-28 10:29:30 | 日記
先日成田飛行場でEーチケットを搭乗券に変えるときのことだ。ANAのカウンターでQRコードを読み取り機にかざした。そして、搭乗券を発行。いろいろしゃべることもなく機上預け荷物は計測台にのせ、ベルトコンベアーにのっていった。喋ったのは、書いてある通り、お席は通路側でいいですか?と言われたので、「はい」といっただけ。

五百羅漢の江戸東京博物館でも入場券をcheckするときは、読み取り機にQRコードをかざして、入場させていた。

QRコードとは1864年にデンソーの開発部門(現在は分離してデンソーウェーブ)が開発したマトリックス型二次元コードである。なお、QRコードという名称(および単語)はデンソーウェーブの登録商標である。ではここでなんと書いた方がいいか?

携帯電話にQRコードを読み込む機能がある。カメラのなかの、バーコードリーダーとかいている。商標登録されている、単語だったからか。

それにしても当初は自動車部品工場や配送センターなどでの使用を念頭に開発されたという。現在では主に日本で広く普及している。

そのうちQRコードのみで営業できるかな。pasoconとつないで、読み取り機でだして、資料をとりだす。莫大な資料管理するのに、楽かし。

これが素敵と白すすめ

2011-06-27 17:03:56 | 大連
・梅雨晴れのこれがすてきと白すすめ   未知
・梅雨晴れにやっぱりこれと白選び   未知
・空港にほどなくつけば夏終わる    未知
・発車してバス消えるまで梅雨晴れ間  未知
・ビザ待ち人片陰深く流れおり      未知

・機中一人腰かけても一人半夏生    未知
・夏風邪にこの世の声を奪われて    未知
・発車してすでになけれど虹の足    未知
・発車して朝焼けのある別れかな    未知
・夏旅はこの世の声がでないまま    未知

・半夏生機内映像小さくなる      未知
・君乗せてバス発車する白南風に    未知
・とりどりのアパレル売られ夏爛漫   未知
・白南風に凛と微笑む披露宴      未知
・梅雨晴れや祝宴華麗にかがよひて   未知

羅漢が救ふ梅雨晴れ間

2011-06-27 15:16:17 | 俳句
・みじろぎもせず羅漢が救ふ梅雨晴れ間  未知
・珠暖簾を揺らして行ける羅漢の間    未知
・夏座敷蜘蛛の巣這わす十字軍      未知
・色町を通り抜けきて夏風邪ひく     未知
・恋煩ひはかくばかりかし夏風邪ひく   未知

横網町公園復興記念館

2011-06-26 14:05:45 | 日記
朝ドラをみて、南浦和9.00集合にでかけた。朝ドラひまわりは、3月10日の東京大空襲直後の病院に友人を見舞いに行く、陽子とその友人の場面であった。想像を絶する風景がうつっていた。

で両国にいって、回向院、吉良邸跡、などみて、国技館にいった。前にウォーキングに行ったとき赤穂浪士の道を歩くというテーマで立ち寄ったことがある。また相撲を見に行った時に、国技館にいったことがあった。けれど。東京都慰霊堂と復興記念館はまったく始めてだった。

広島の原爆ドームを見た時のような衝撃を感じた。

焼夷弾もケースのなかにあった。日本の家屋は調査して木製だから、筒の中に油をいれて、落とすと、瞬く間に東京は火の海となった事が窺える。そのときに寄付されたいろいろなものがケースの中に展示されてあった。悲惨な現実が窺いしれた。そこからみた風景の当時の手書きの風景画もたくさん飾られていた。上野、新宿、田村町、浅草など。

東京は当時の東京都知事が被災地を、私有地でなく復興土地として、決定をくだして、復興をしていったと聞いている。こう書いているうちに、津波の被災地のことが思いうかんできて胸が痛くなって、ドキドキして吐きそうになってきた。もう指を動かすのを辞める。

岡本敏子さんというひと

2011-06-26 13:34:19 | 日記
どういう事情で、妻のようで、妻でなく、秘書として人生をまっとうして、戸籍上は養子として、入籍して、いる。TAROとであった時は20才で、その時から、いったんは出版社につとめたけれど、太郎の秘書的立場として、人生をおわっている。なんでそこまでして、ここに存在していたのか。

見ているうちに思った。晩年アルツハイマーになってしまって、作品を作り上げるのに敏子さんが、お弟子さんが、taroの作品として彫刻の形をつくりあげてるのを、ここはもっとふっくらにとか指示している。

これは前日見た五百羅漢の狩野一信(かのうかずのぶ)に似ている。病没したあと、残り4幅は妻・妙安、弟子一純(かずとし)らが補って完成させ、文久3年(1863年)増上寺に奉納されている。約150年前だ。生誕でいえば200年前になる。一信(1816-63)約50歳

太郎生誕100年を記念して、今年はいろいろ太郎に焦点をあてた催しがおおいい。

敏子さんは、岡本太郎の作品に、また太郎としての制作過程に影響をあたえている。
ジョンレノンの妻小野よう子さんもイマジンなど、曲作る上に影響がおおきい。
敏子さんてそういう存在であったこととして、今後の歴史にのこっていくのでしょう。

あのメキシコの廃業したホテルの大壁画、太陽の塔と同じころの作品だけれども、敏子さんが太郎さんの亡き後、メキシコでみつけて、日本に持ってくる手続きをおえている。その輝かしい偉業を仕上げた4日後に死亡している。

TAROの塔

2011-06-26 12:53:05 | 日記
土曜朝10時から瀬戸内寂聴が究極の愛を語る再放送岡本太郎と敏子の知られざる愛憎劇▽感動の秘話、をじっくりと感動してみていた。これが11.30まであるものですから、午後からの句会に何時もの如く、いつものバスは乗れず、465バイパスのバス停に時間をみて、ぎりぎりにのってパルコにいった。前の日にもみた再放送なのにまたじっくり見てしまった。

夕方のラテ欄に9.00からTAROの塔~放送文化基金賞受賞ドラマ「太陽の塔を生んだ男岡本太郎、愛も芸術も爆発だ!」松尾スズキ 常盤貴子 田辺誠一 小日向文代 西田敏行 寺島しのぶ とのっていた。前にNHKであった、たしか2月頃のドラマと同じ配役だ。その時は岡本かの子役のの寺島しのぶがとても強烈なインパクトで演じていた。ちょうど深川江戸資料館でパンフレットをもらった中に岡本太郎生誕100周年の公園があったので、行きたいけれど少しとおいからなあと断念した時にテレビでドラマがあった。その時のドラマの半分は続きのようでもあってけれど、今度は敏子さんのことを、くっきりと浮かび上がらせてのドラマで見ごたえがあった。

敏子さんのことはなにも知らなかった。瀬戸内さんのお話のなかで、とても重要な、稀有な人柄がよくりかいできた。太郎の妻てきなそんざいでいながら、養子としての戸籍にも意味があった。太郎の絵を散逸させないために、とられた選択であったこともりかいできた。

かの子さんのあと、一平さんは再婚されて、太郎には兄弟が二人はいたことになる。一平さんを訪ねて行った時に、幼い兄弟たちがいた。法律的に財産は妻は二分の一、あとは兄弟で分ける。などと説明していた。でもまだ理解できない太郎の人物像ではあるけれど。

五百羅漢、幕末の絵師

2011-06-25 11:36:22 | 日記
昨日五百羅漢をみにいってきた。腕の良い絵師の筆に、しばし酔ってかえってきた。初めからカメラはもっていかなかった。上海がえりのりルとしては、cameraは必要なかった。色褪せた景色をカメラにおさめて、なにも生まれてこない心境にもなっていた。

カメラに撮る時点で新思考の糸紡ぎができなくなる。今日いってきて、心に、深くその感動をいれてこようと考えていた。

やはりその覚悟はうらぎらなかった。存分に狩野一信の幕末の絵師の世界にひたってきた。

でも面白いのよ、そのネパールでみた細密画のような華麗な絵、といっても絹の布に描いている色鮮やかな絵なんだけど、一枚だけ影がついているのがあるのよ。それがぎこちなくって、稚拙で方向もまだ変で、思わず人間性を感じる。当時のヨーロッパの技法を参考にしてとりいれたようだ。ゴッホの自画像などの絵の背景に日本の浮世絵が描かれている。交流あったんだね。全部で100幅もあるので、少々つかれたけれど。

説明のイヤホン借りたほうがいいよ。500円だったけれど。

5個の房のついた白百合の花

2011-06-25 10:59:38 | 日記


今朝白百合の花がさいていた。駐車場の入口の家の横だ。昨日は朝が早かったから気が付かなかった。今朝気が付いた時はもう二つ目が開花していた。

思えば去年も咲いてくれた。この時は携帯の、データフォルダにいれていた。メールで開花を送った記憶があったので、探したら6月20日であった。去年より5日遅れだ。いや昨日一つ目が咲いていたのだろうから4日遅れでさいたのであろう。

貴重な白さを庭にふりまいてくれている。

この時はまだこのブログのシリーズを始めていない。印度ヒマラヤにいったのが6月30日だから、ヒマラヤズ630でこのブログのURLをあたらしく作ってはじめている。その前は、「タスマニアのサザンクロス」で検索すると律儀にも、googleのtopとtop2で記事がでていた。なんと、6月29日で工事中でおわっていた。懐かしさがこみあげてくる。

続けるべきか、工事中でまた終わりにするか、その時は次のシフトへの移行として、dalian618とでもしようか。まだ決めかねていない。このまま続けることで歴史が続けられる。そんなきがしてくるからだ。

開き直り

2011-06-23 13:15:03 | 日記
今日の新聞で開き直りをみつけた。いい意味で使っていた。

津波不安…「生活のため」決断

全壊の家補修し床屋再開

と言う記事のなかにあった。

1階が土砂に埋まって全壊した知人の宅。「使っていいか」とたのむと「好きにしろや」と応じてくれた。土台から造りなおすわけではないので、建築確認申請を出す必要はない。浸水地だが、耐震の確認をしただけで町から「自粛」は求められなかった。家族の中に当初、津波を心配する意見もあった。行政で復興計画づくりがあることも承知している。「あとで高台に移転しろなんてありえない。ある種の開き直りで生活再建のためやっているのも事実」

こういう開き直りはいいですね。

工場を再開とか、笹かまぼこやを再開とか、復帰は少しずつ、テレビ画面でしる。しかし、まだ行政が街の復興の青写真をきめてなく、ここにお金をかけて、ガソリンスタンド再開しても、たちのきにあったら、かけたお金が紙くずになるので、となかなか二の足が踏めない人々の話題もながれてくる。

こういうときの開き直りは、ボーダーに生きる人々に新聞にでてくる話題となりうる。

川柳七月の題開き直り

2011-06-23 12:07:27 | 日記
川柳が文芸の欄を定着するようになった。次会の題はひらきなおりとしたようだ。


自分で、候補をだして、題を募集して、それに「花火」など明るい話題をと、全員メールで提案していた人もいたけど。無視して、全員の決もとらないで、自分できめている。みんなはなんだ。独断場の域を拭いきれない。だからみんなもこの方を無視している面もある。

しかし、いつか糸もきれるだろう。燠についた火も燻りはじめている声もきくから。

開き直りは管首相の昨今の態度より、決めたようだ。大地震ー自粛と続いた題だから。一人でやるのは気楽でしょう。原稿募集といいながら、聞いた人には、どうしてのせないのときかれて、発行する月に合ってないと勝手な返事したようだ。

現地語はpininでない

2011-06-23 09:32:53 | 大連
現地語はpinin通りの発音でない。pininにてあらわしたのは、いつからだろう?中国語を「0からスタート」で学習し始めたとき、pininと片仮名がふってある。よく片仮名は見ない方がいいと言われた。pininをさらにどう読むか日本人にわかるように振り仮名がふっているように言われているイメージがありますが。

ヅォングォー  Zhong guo 12

どうしても片仮名だけを読むと日本語的な発音で読んでしまうからであるが、一年半も中国語を学習してくると、そんなことにならない。「ヅ」がなかなかいい。「ズ」と違う。


最初誰かが示唆した。手を口につっこまれて、「h」の反り舌音中国人から注意うけたよ。また1年くらいして、誰かが示唆してくれた。簡体字かかないで、pininだけ書いて覚えたほうがいいよ。中国人の話す日本語は濁音ができてないのよ。中国人の話す中国語で、对不起 duibuqi4*3とか,今天jintian11 は濁点で聞こえるんだけどね。 

机场 はどうきこえたかしら。きっと通じてなかったかも。何しろ声がでなかったから。今もまだこえがかれて、ハスキーボイスではあるが。今から思うと、この本の片仮名のような発音が通常のようだ。習った発音とはほどとおかったけれど。