言葉拾いをしていると、胸がキュンキュン痛くなる。出かけるとき最近はカメラを持参しない。心を水鏡にして、その面に映るものを隅々まで拾ってきたい。心ゆくまで。そこに息づく人との出会い、そこに息づく考え方も持ち帰りたい。カメラでとらえられない温もりを、肌触りをも感じ取りたい。見事にオレの期待を裏切っているものに出会うと、心が躍る。未知との遭遇となる。だからそこの人に声をかける。たいていは裏切られない。地球に生きている人はそれなりの、不思議な生きる心得を逸脱していない。
そして、人としてのやさしい人間が見えてくる。この人はこんなに優しい人で、自分のpositionに立って、この地域で、このエリアの中で、こんなに息づいている。
帰ってから文にしていると、愛おしい風景が、あの一言が、あの鳥の踵のかわし方とか、あの花の色褪せた寂しさとか、如意輪から見つめられ、見透かされているオレの姿とか思い出してくる。そしてシャイな自分の姿に愚かしさが表れてきて、穴にはいりたくなってくる。そしてさらに胸がしめtけられる。そしてそれを言葉に移す作業に追い込まれる。いい言葉が拾えたときに、また胸キュンと痛み出す。言葉を見つけたときは最高にほろ酔い気分なのだ。
そして、人としてのやさしい人間が見えてくる。この人はこんなに優しい人で、自分のpositionに立って、この地域で、このエリアの中で、こんなに息づいている。
帰ってから文にしていると、愛おしい風景が、あの一言が、あの鳥の踵のかわし方とか、あの花の色褪せた寂しさとか、如意輪から見つめられ、見透かされているオレの姿とか思い出してくる。そしてシャイな自分の姿に愚かしさが表れてきて、穴にはいりたくなってくる。そしてさらに胸がしめtけられる。そしてそれを言葉に移す作業に追い込まれる。いい言葉が拾えたときに、また胸キュンと痛み出す。言葉を見つけたときは最高にほろ酔い気分なのだ。