印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

煽られて購入

2013-01-31 17:58:59 | 日記
オジサンはその人に、「先へ水仙見に行ってきて下さい。作っておきますから」といっても動かない。菜の花も「今かごにある分全部買いますから」とまっている。

終に仲間が「私たちが先よ」といいだすしまつ。オジサンはおたおたしているし。おばさんもおたおたしているし。
終に仲間が手伝いだした。「おばさんいくつ束ねるの?」「13個から14個」それで二人がせっせと菜の花10個分袋を、あのスーパーでぐるぐるまいてもらってくる薄手のポリエチレン袋に詰める。水仙1束と菜の花2束お金を400円払って、みんなで後にする。畑からつんでくるのも手伝えばよかったね。リンゴ狩りみたいに。

見ず知らずのお客さんご夫婦でまだいた。その人私たちの上を行く人だからどうやっているでしょう。夫がもうやめなさいと横でいっていたけど、妻さんは意に返さないで頑張っていた。スゴーイ。車で来ていたからいくらでもサプライズ買いできそう。

もういらないと言って1束にすれば良かった。
そのときは煽られて、引くことを思い浮かばず、断りきれない。
進みだしたら、とまらない。ランニングと同じ。走っていると足が止まらない。ベクトルが動いているから。かっぱ海老せんと同じだね♪。ヤメラレナイ、トマラナイ…♪

トンビに油揚

2013-01-31 17:24:17 | 日記
先日は水仙広場で引きかえした。先日の雪印は僅か15分でも歩くのが困難でタクシーに乗ると思っていたようだった。水仙のときはもっと山登りの達人のかたもいて、先月花散策を退部された方であったけれど、みんなと同じロードを楽しんでいた。水仙の魅力とハプニングが楽しめたと思う。サプライズかな。

先ほどの猪のおじさんのところによる。「おじさん水仙は?」
「つくって無い?」「お客さんに全部売ってしまったのでしょ!」

それであわててゴムで結わえて作り始める。いいのを選んで、大目に入れている。一束200円」「えっさっきと話が違うじゃー1束でいい」(さっきは150円といっていた)オジサンは無視して、2束分作り上げた。「2束分いっしょにつくったよ。だれか買わない?」という。よこから、知らないお母さんが買うと声をかけてくる。お金を渡してしまった。見ず知らずの人が加わってきた。自分ら5人で穏やかに、10束たのんできたのに、軒並みごっそり、トンビに油揚げをさらわれる感じ。イソップにこういう話あったみたい。そして水仙はその新しく加わった人のものになった。

赤伏コミュニティー

2013-01-31 16:51:07 | 日記
以前来たときは、此処まで来てさらに先に行き、赤伏コミュニティーという集落の民家を通り抜けて行った。大分距離があり、迷い道に入り込んだ。集落は複雑で、民家には怖い犬が吠え立てて、民家の怖いオジサンからおいだされて難儀した。川の近くて、電信柱の工事をしている薄緑色の作業服の人かあら、丁寧に出口をおしえてもらって、自動車道に出る。今は良い道ができているでしょう。この複雑な道のりで頼朝さんはどのルートを通って佐久間ダムの方に抜けたのでしょう。

さらに1時間程歩いて、ダムに抜ける。そこに大きな水仙が乱れ咲くおおきな公園があり、東屋もあり、公衆トイレや、食事処もあった。その素晴らしい景色にほれぼれする。

途中で歩けない人が出て、向こうから来る車に乗せてもらった人がいた。運よく鋸南町役場の車でと言っていた。そこまで行けば乗ってきた貸し切りバスがPARKで待っていた。ダムまで4.5㌔75分、さらに『をくづれ』水仙郷まで2㌔30分

貸し切りバスで来て保田駅近くの保田小学校の運動場に止めて全員おりて、体操をして歩き出した。

その道のりは概ね10㌔3.5h この時はヨガのグループだから歩くのは好きな人であった。

江月コミュニティー

2013-01-31 15:18:23 | 日記
水仙広場には温室があって、なかは暖かくしていた。梅干しや飴など、甘酒やだんごなど。山芋や深谷葱など、勿論水仙も。観光客の買いそうな好みのものは一通りおいてあった。一通り見て、冷やかしで悪かった面持ちでみんなでてきた。レジで若者が真面目に仕事をしていた。
水仙広場には暖かくしたこの温室があった。ここまで保田駅より3㌔40分。

大抵は水仙広場で引き返す。長閑な山間の水仙をちょこっと楽しむ。そして海岸沿いの食事処で昼にする。せめてもの水仙広場から10分0.7㌔の地獄堂までは行きたかった。40分うえの頂上までとはいわないけれど。

江月は保田地区と佐久間地区に挟まれた山あい。(谷間の村23戸で水仙で生計を立てていた村でした。源の頼朝はこの地を経由して佐久間、長狭へおもむきました。とある。頼朝の隠れ里・馬かい場・馬つがい石とmapにのっている。(この地区のmapだけ)頼朝が鎌倉から船できて、東京湾勝山駅付近の海岸に上陸してこの道をとおったということだ。去年の大河ドラマの頼朝を懐かしく思い出す。

オジサンの身の上話

2013-01-31 13:32:43 | 日記
水仙ロードを歩いて来る人全てに、写真を見せて声掛けしている。
明るいオジサン。傍で黙々と、菜花を束ねる作業をしている、おばさん。
写真はおばさんが今と同じいでたちで、水仙を束ねている写真。藍色の農作業用の前だけ鍔のついている肩まで覆う被り物をして、同じような柄のやはり藍色の地味な上っ張りを着ている写真。

「関口宏さんと友達だよ。キュウちゃんもきた、友達だよ。」キュウちゃン?「小出さんもしってるよ」それでマラソンの高橋さんだねと妙に納得して、信じる。そういってみんなの気を掴んでくる。

それにここが地元の人の最後の直売所らしく、その先の温室内の直売所の事を、「あそこはよそ者だから」といって、ここで買っていきなさいと促す。あそこの品物はよそから運んできて売っている。そう吹聴しているのだ。心情を察して、散策している人は、大抵ここで買っていく。そして必ずおまけをしている。バケツに客寄せに入れている先に摘んできて、背の低い、花開いた水仙を思うより多くの本数をおまけしている。
娘さんが〇〇銀行にいて、あまり来ない。など身の上話も混じってくる。後継者がいなくなれば、下の方にあった売地のように、「売地」の木札がたつのであろうか。

そして名詞をくれる。お茶さんを経営しているようだ。それで仲間の一人は家に帰ってから電話をして、お茶を買うと言っていた。その人にはさらにたくさんの良質の水仙をおまけしていた。人はおまけに弱い。良質とは茎が長くて、花が咲いてなく蕾の状態であること。東京ではこういうのを好まれるから、とついちょっと前にオジサンが口にしていた。

それで水仙広場にいって戻ってくるから、10束分作っていて。水仙と菜花と。よそ者のところにいくのかーと残念な様子をしていた。よそものという言葉によわいけれど、最大のライバルは自分なんだ。

猪は水仙食べないでしょ

2013-01-31 12:57:16 | 日記
水仙畑には麗らかな陽光を浴びて、斜面をびっしり地面が見えないほど水仙がびっしり覆っている。
なるほど上に登るとそこに、猪が掘ったように、球根が5~6個引っ繰り返って剥き出しになっている。納得してみんなで引き返す。

「おじさんみたよ、猪の暴れたあと」
「おじさん、猪は水仙食べないでしょ」
「蚯蚓を食べるんだよ」

その小高い丘を降りてくると、またまた同じように登ってくる二人連れに出会う。ここまで登ってくる理由は唯一つ、猪の荒した跡を見に来ているとしか思えない。
「もうちょこっと先に猪の堀った跡ありますよ」ついつい先にみた者の狭い料簡として、言ってみたくなっている。

そして降りて行って水仙を買うのである。
ようはどこでかっても同じ水仙だからね。
無料お試しセットがあれば、まあーお駄賃にかってもいいかな。という気持ちにさせられるようなものだ。

それに他の場所はどこも同じような注意書きが書かれた木札が立っている。「これから先畑に入って、登ってはいけません」と。ここはすべて地主がいるのだ。下の方の水仙の咲いている土地は「売地」の看板が出ている。後継者がいなくなって、都会に出て行った跡継ぎの方がやむなく売地としているのだろう。コンクリートの水仙ロードずっと1時間もきて、やっと水仙の面に出会ったら水仙の間を歩きたくなるというものだ。それをここは満たしてくれる。ほんの10㍍くらいだけれど。それで満足感がえられる。

おじさんは売り方が上手。それで5,6人のグループで来ている人は、大抵ここで引っかかって、ここで水仙を買っていく。




水仙が旬

2013-01-30 21:57:16 | 日記
水仙が部屋で満開
玄関も居間もトイレも
1week前の23日、水曜日、保田で買ってきた水仙。
その時は蕾であったけれど。今は一本に5個花が開花している。それが23本。
13本200円で買って、そのあとおまけで10本くれた。

その保田の風景、水仙畑の話し好きなおじいさん、無口なおばあさん、
水仙畑の斜面をかりて、シートを広げてお弁当を食べた。
話し好きな人は能城さん、この辺は同じ姓のひと多いのですって。
猪が水仙を掘って、登ってみてーやって、といったのでみんなで登った。

「ここに広げていい?」
「いいよ」
そういうわけで、そこで5人で、ランチタイム。大きな恵方巻きを食べました。
畑のひとにもおすそ分けして。
おじさんは家に不帰。そのまま、外仕事。
「家にたべにいっても、美味しくないから、これでランチできたから」と水仙と菜花を摘み取るのに忙しい。、
観光客を呼び寄せる。花は畑からとってもとっても、すぐに売れていく。次々と花は咲く。

そういう直売所が水仙ロードに5か所くらい。自分の水仙畑の道路端に売場所をつくって、直売している。長閑な風景。
それを思い出している。

久しぶりに天気予報図、日本列島どこにも雪のマークは無くなっていました。あしたは春のぽかぽか陽気。

パクパク皿キャッチ

2013-01-30 10:46:40 | 日記
節約アドバイザーが使って喜ぶというテーマで今4chのTVで紹介していた。
電子レンジで温めた皿が熱くてもてないのでそれを掴むシリコンでできた、手のひらサイズの長さの掴むもの。カスタネットの様な鍋掴みとでも言おうか。

それって先日鍋つかみにいいと思って使い出したのと同じ。
貰ったのは去年1月の新年会。蕨の庄屋でもらった。ずっとソファーで置いたまま眠っていた。

デザインは少々違うけれど。マグロの兜焼きの形。三崎で食べたマグロの頭を皿に載せて出てきた鮪の頭を立てて置いている形。

お店から帰りがけに10人ほど店長から全員貰ったのだけれど、そのままにしていた。一年ぶりに日の目をみます。
その10人はスクエアダンスクラブの解体が決まっていた。何人か残って、浦和パルコの合同のクラブに合流して活動していたようですが、風の噂で、夏ごろ解散した様子。先日の後期の会報で、諸事情で7月に解散の運びとなった事が載っていた。懐かしい逸品である。

未来神社

2013-01-30 10:20:57 | 日記
神楽坂界隈を散策。いくつかの寺社を参拝。
それからゆっくり赤城神社へ参拝する。あまりに綺麗すぎて、少々面食らう。これから先はこういう神社ができていくのか。

未来神社に行った気がする。
神楽坂の赤城神社に行った時の感想。
50年先にはこういう神社が過去の神社と脚光を浴びるのでしょうか。完成した形として、鎮座していた。平成の建築様式として残っていくのだろう。

都会の寺社にはビルの上に登ってしまっている有名なお寺を見かける。歩いているとき、気が付かなくて、下から上を見上げることもある。

祐筆(ゆうひつ)という専門職

2013-01-29 18:25:47 | 日記
今日パソコンクラブの休憩時間にプラザの廊下で本を読んでいた。何を読んでるの?と聞かれたので、イギリスのミステリーよ。と答える。それから友人らと日向ぼっこで談笑タイムとなった。

いくつ読むの。昔は本など無かったからいでんだよね。そのかたの兄弟6人いて3人が本嫌いで3人が本読んで…こういうの遺伝するのよ。

次ののひと徳川家康と豊臣秀吉と織田信長が大好きだといって、その歴史本をいっぱいもって、書き手が違う人のをそろえて、2,3回読み直しているという。


韓国では絵を描く人がいて、TVのイサンで行事を絵に描いて後世に残していた。そういう職業があった。日本でもある。近所に祐筆(ゆうひつ)といっていたよ。

そう言う人が専門職としているでしょ。
武士のでるドラマで筆で記録している人いるでしょ。
今は受け継ぐ人いないけれど、代々受け継いで昔の行事つたえたり、
今はパソコンですぐけんさくできるけど。
地震とか津波とか、そういうのを後世に伝えたいと、昔のひとは知恵を絞って、石に書いたりして、ここまで津波が来たと、手段を考えていたのでしょうか。


武士の世の中で祐筆がいないと、煩雑な職務をこなせなかったようだ。
その前の公家の世の中は自分で書いて自分で署名して自分で貌を押していた。

『ゆうひつ』っでどういう字かくの?
むかしからゆうひつといっていたから、字はわからない。
で席に戻って、『祐筆』となった次第である。
チャンバラ映画によく出ているよ。
そうはいってもとんと記憶にないけどなー。



ーーー以下web--

やがて武士の地位が高まってくると、公私にわたって文書を出す機会が増大するようになった。そこで専門職としての右筆が誕生し、右筆に文書を作成・執筆を行わせ、武家はそれに署名・花押のみを行うのが一般的となった。これは伝統的に書式のあり方が引き継がれてきたために、自筆文書が一般的であった公家とは大きく違うところである。武家が発給した文書の場合、文書作成そのものが右筆によるものでも署名・花押が発給者当人のものであれば、自筆文書と同じ法的効力を持った。これを右筆書(ゆうひつがき)と呼ぶ(もっとも、足利尊氏のように署名・花押まで右筆に任せてしまう特殊な例外もあった)。

雪印メグミルク工場見学

2013-01-29 11:41:14 | 日記
それで挨拶をして、敷地に入り、見学建物にいっても鍵がかかっている。13:00からが受付と書いている。外でまっていると、開けてくれた。時間が早いですけれど、どうぞ中へと案内してくれた。

雪印は何年か前、賞味期限偽証事件、古い牛乳と混ぜて出荷して事件で大変世の中を賑わた事件があったから挽回している。説明の中にそのことには触れないけれどその節々を感じさせる言葉が節々に感じられた。日付の押印のベルトコンベアー。そのあとの日付の確認の部分。全体の流れを集中管理室で6人ほどの人が監視している。全員靴を入口で脱いで、頭髪を白帽子で、薄緑の特注の作業服姿でcpuで映し出されてくる現場の画面を注視していた。

見学は20名ほどいた。2人で参加している人もいた。何人かのグループもいた。ここは一人でも参加受け付けるとの事で、見学しやすい。3階の連絡通路は天井からの日差しで、温室の中と言っていた。暑い。気持ちが温まる。夏はそうとう暑いようだ。そこを通って工場部分にいく。

つぎはコカコーラにと言っていたけれど、10人からの受付で、人集めが難しい。それでキューピーにするなど、案が出ていた。

梅郷駅から雪印メグミルク工場まで

2013-01-29 10:58:43 | 日記
ところで雪印メグミルク見学、誘われたのでwebで下調べをしていたので助かった。
梅郷駅について西口にでる。「どうする~」と聞いてくる。「勿論歩く」

駅にはトイレが2個しかない。まだ改札を出てない人も半分ほどいて、12:21について、見学は13:30から。間に合うかどうかも気になって、先の3人は階段を下りていそぎ出した。3人ほど改札を出てくるのを待って、いた。それででてきた人と、歩き出した。後から聞くと、どうもtaxにのるものと思っていたようだ。妻沼に行った時taxにしたら、延々と30分ものっていて、バスが10分おきに出ていたのにーと後で気づいたこともあったしー。咄嗟の一言が先手となる。

雪も止んだし、積もらなかったし、天気もいい。アクセスの地図をみていたから、タクシーで5分、歩いて20分とのっていた。そして路がまっすぐで16号線沿いで、道をまちがうこともない。歩き出して、駅にはタクシー2台しか止まってないし、しかもはなれたところの広場に。

途中の16号線沿いにうどんやがある。その信号の反対にサイゼリアもある。帰りはここで。
すんなりとメグミルクは見つかり15分でついた。12:50で、見学時間より、40分早くつく。森閑とする敷地内にだれも人影がない。まあたらい建物。真新しい守衛建物に人が一人いた。

憩室病とは?

2013-01-29 10:03:37 | 日記
憩室とは、腸管の内壁の一部が外側に向かって袋状にとびだしたもの。

昨日野田市の雪印メグミルク工場を見学した。
帰りの野田線の電車の中で、昨日のメンバー8人のうち4人で、野田のキッコーマンを12月に見学した話をしていた。キッコーマンの方が歴史があって、よかった。と言っていた。

そのとき、横の席の人がキッコーマン参加する予定だっかけれど、家族の人が病気で行く予定をキャンセルした話をした。家族の人がお腹が痛くなって、救急車を詠んだ話をしだした。病名はケイシツビョウ。胃に袋ができて、そこに物がつまって痛くなるのよ。戻したり、下痢とか。熱が出たり。聴きなれない、ていうか初めて聞いた病名。

そうしたら他の人もその病気になって、救急車で病院に行ったとの事を話しだした。。右上腹が痙攣して救急車で運ばれた。食事しないで点滴だけで1週間入院したとのこと。そこなら胃じゃないでしょう。胃でないから、戻すというのもおかしいでしょ?「大腸で、医者は6個、袋があるといってた」という。

えっ何!ケーシツ?どういう字? 休憩の憩。部屋に室。憩室病。

「ひどくなると、破れて、体内部にもれて、死ぬ危険もある」とも。情け容赦もない病気みたい。それにしても色々馴染みのない病名がでてきた。

欧米人は大腸の左下の炎症が多い。日本人は今のところ右上がおおい。食べ物の欧米化で左下の炎症も多くなっている。肉食と食物繊維の摂取量によるようだ。

時の鐘で迷う

2013-01-27 17:13:41 | 日記
完全に迷い路に迷い込んだのは⑧時の鐘。
市役所の前の信号を渡ってそこに、町の案内板があった。現在位置と時の鐘も載っていた。まっすぐ行って左折すると時の鐘だと思い込んで左折しても、あまり賑やかでない。いくら歩いてもそれらしきところに行かない。それで、町の住人らしき人におでかけのようだったけれど、聞いてみた。「まっすぐ行って、ぶつかったら右に曲がり、右手にあありますよ。そういってそのようにいって、時の鐘はあった。次の大正浪漫夢どうり経由「連聲寺」に行くコースがまったく読み取れない。磁石はもっているけれど、思うように足がでない。

で祭半纏を着ている街のボランティア風のおじいさんにきいてみる。この辺は進めないないほど人で賑わっている。左折して、信号のところを左折して、すぐの道を右折したところが大正浪漫夢どおりですよ」方向音痴もいいくらい。まったく別の方向で、羅針盤がくるっていた。リセットして、方向がわかる。曲がり角に駅ハイの丸い→道標があった。

①妙善寺=毘沙門天

2013-01-27 16:30:25 | 日記
初めの一歩から躓いた。
川越駅ビルの中にデパートがあった。外に出て大きな陸橋があり、デパートがある。そこの階段をおりて、道に出る。右に①の妙善寺=毘沙門天が載っている。でもどこかわからない。そこを駅方面に歩いていく人に聞いてみる。「妙善寺はどこでしょうか?」「知りません」の答え。街の人は駅の側でも知らないんだ。自分でも浦和駅の側の枝垂れ桜の寺、寺の名前まで知らない。

仕方ないからそこの野菜やの主人にきいたほうがいいのじゃないの。そうおもって聞いてみると、「そこの交差点を左に行って、信号を右折して、路の左側をそのまままっすぐ行くと、左側にありますよ。」なるほど左側でよかった、すぐにY字路にぶつかり、左をkeepしていける。Y字分かれ道だから右だと、違う方角にいってしまう。

寺につくとはすごい列ができていて、鰐口をならすところの参道の階段にたくさんの列。それでお参りはしなくて、次に行くことにした。皆は違う道からきていたから、そちらがmapのルートなのだろう。

ルートを見ながら大通りにでると、青いブルゾンの係の人が次の方向に棒を持って示していた。そうやって初めの①はクリアできた。