印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

皆さんに紹介できると思うとワクワクします

2013-04-06 07:15:46 | ウォ-キング
このウォーキングにはコースを作られる方が別にいる。係の方は会長さんと声掛けしている。日本ウォーキング協会のさいたま支部の会長?
はじめに体操をして終わりに体操をして、皆がペースよくついてきているか、よく後ろをみている。ゆっくりペースです。

我らが会の会長さんは道々の間違いそうなところに係の人を一人づつ配分している。歩く会長さんは「自分が歩きながらここ、どこそこに立つようにいいますから」というと、わが会長さんは「予め立つようにしてますから」と言う。「ならそうでもでもいいですよ」となる。噛み合ってないのかなと思っていた。

一つの見せ場の調整池部分が終わった。それから普通の道になった。さくらは途切れた。「桜はおしまいですか?」と誰かがいっていた。案内の会長さんが「これから紹介する道を皆さんに紹介すると思うとわくわくします」と言われた。なんと力強い言葉。期待がもてる言葉づかい。気持ちが膨らみますね。そこから始まる桜並木は素晴らしい。御衣黄も3本あった。最後の疲れた部分が癒されます。

この計算された一言に歩く会長さんの地位が確定した。素晴らしい方ですね。コンマスみたいで。全体の指揮者です。作られた自然のコースがある。おれはこう歩くんだ。それが皆に伝わる。顔の表情があきらかに生き生きしてます。

市民の憩いの場所上谷沼調整池

2013-04-05 21:47:33 | ウォ-キング


今日のウォーキングの会
南浦和の御嶽公園に集合してやく7㌔を約2時間200名の参加
明日は嵐となるようだが、今日はいい天気だった。

南浦和御嶽公園→浦和競馬場→上谷沼調整池→フラワーロード→明花公園→井沼方公園

大体わかるが上谷沼調整池が初めてなのですが綺麗なところだった。さくらが咲いていて、人々が敷物を敷いてお弁当をたべていた。憩いの場所。大雨が降ったときに、市立高校付近で水があふれて、水害が大変であった。堰があって取水口が2か所ある。藤右エ門川の水が溢れてくるところの調整池に流れ込むようにしている。実際ここができて、水害となるような水は出てないという。

セブンイレブンからこの憩いの場所に続く道があり、出口は二十三夜の島忠のところになる。残念ながらトイレが一つしか無い。だから大勢いる時は大変。島忠にてお借りします。

第八公園の桜の木は少し紅葉していた

2012-11-01 16:44:58 | ウォ-キング
武蔵野線の下を潜って井沼方公園に抜ける。
公園デビューの親子が三組ほど砂場で遊んでいた。
それから小高い丘に登って、向こう側におりて、回り込んで第八公園にいく。
緑のなか少し紅葉していた。先日周りの家に住んでいる人から家からこの紅葉をみるのが楽しみだと聞いていた。グランドゴルフ場があるなだらかな下り道のある山肌に一本のさくら、そして拳がある。やはり話題は紅葉でしょう。

それから吉祥寺の参道を経由して尾間木公民館に戻っていくのだが、その銀杏の木はまだ緑みどりして、天辺だけ黄色に色づいていた。そして銀杏がちらほらと落ちていた。すでにひろって、昨日10個ほどおでんにいれて食べたと言っている人もいた。銀杏の木は10本ほどあるのだけれど、銀杏のなる木は2本だけだった。

12月に明治神宮に行く人がいて、駒場東大前の校舎のなかにある、先日みた銀杏の並木をまた見に行くと言っていた。さぞかしきれいに色づいているでしょう。実は銀杏の木はたくさんあるが銀杏のなる木は、銀杏のならない木より割合がすくないんだよ、と誰かが言っていた。

道なりに皇帝ダリアがみえた。まだ小さい蕾をたくさんつけていた。

巨大なブリッジは三層の段

2012-05-28 11:49:04 | ウォ-キング
3年前くらい渋谷マークシティより抜けて。玉川通りを二子玉川で橋をわたる。多摩川沿いに下り、丸子橋で戻りに中原街道を六本木まで歩いた。だから今回は世田谷通りの部分だけが新しく加わって歩いたことになる。こうやって過去に歩いたところはある程度土地勘がつている。土地勘とそれに少し付け足してあるいていける。

行ったところをいくのはーと少し鬱がはいる。しかし街は進歩しているから、表情は前と変わっている。大橋の高速道路の巨大なブリッジは三層の段をおりなす。勢いある交通の動きが追加される。そこにに迫力が加味する。そういうのを見つけた時は大変にうれしい。

そして少し気になるところは交番で確かめる。ある程度交通の流れというか、人の流れの様子がよめるので、自分の気持ちがまちにに届けられる。そこに自分と街とのコラボが発生するのがうれしい。

感情の解放

2012-05-27 17:05:21 | ウォ-キング

毎回どきどきするのは新しいところにチャレンジしたところ。冒険心が無いと期待できない。しかし全く知らないということで最初は鬱になる。それが解決した時の達成感は大きい。少々無鉄砲ではあるが、転がるように、新しい街が試練のように立ちはだかっている。その壁を乗り越えるように次の試練が待ち構えている。時間がまにあうか。体が疲れないうちに到着するか。駒をすすめるのに、第六感が必要になってくる。

どちらにしても、日常に利用してない圏外を挑戦してあるくことは感情の解放となることは確かだ。制約をぎりぎりのラインまでぶち壊している気がする。

世田谷は広いだろう

2012-05-27 10:40:26 | ウォ-キング
世田谷は広いだろう。ワイルドだろう。
うん。今サザエさんのお父さんの波平さんの像の髪の毛が2度もなくなって、そのことが昨日もTVをにぎわしていた。
西にいけば調布市、狛江市に接していて、さらには西の多摩川水道橋で登戸になる。その下に南側になるが、川崎市の高津区、中原区となる。世田谷区役所から1時間も歩けば渋谷にいける。


玉川街道の246号線は川崎市高津区にはいると、「厚木大山街道」になる。東京に入るとR246は愛称が変わる東京では玉川街道となっている。

世田谷通りは、川崎登戸から続いてくる、和泉多摩川の玉川水道橋から世田谷通りとして世田谷をとおり、三軒茶屋で玉川街道と一緒になる。ラッキーなことに世田谷線「上町」でで接近してくれたので、ルートがすぐ決められた。
ロケットがブッキングしての軌道に乗るように。上手くいった感じだ。世田谷は広い。

だから世田谷の代官屋敷に登戸がかいてあったのだろうか。納得。
池尻大橋に厚木大山街道という昔の道標をみた。。これも納得。

上町から渋谷へウォーキング

2012-05-26 07:18:15 | ウォ-キング
世田谷線上町で一人になって、渋谷まで歩くことにした。解散宣言はその前の宮の坂駅で第一次解散となっていた。

上町で一人の年配のご婦人が丁寧に教えて下さる。バス通りにそってこちらの方向へいくと、三軒茶屋にいけますよ。道は線路沿いになっていますから、一直線ですよ。ここの道を行ってもいいし、上町の電車の駅まえの道と合流しますよ。親切に丁寧にに教えて下さる。

世田谷通りをしばらく行くと、「世田谷交番」がある。そこでさらに渋谷までの道順をgetする。
世田谷通りと246号線である玉川通りがYでぶつかる。246号をまっすぐ一直線で渋谷。go sign!(和製語)
このY字交差点まで20分、次の三軒茶屋から渋谷までは自分の地図に3㌔とあるので、合計1時間でgoalする。

池尻大橋で山の手通りと交差するあたりで、「大橋交番」で、このまま橋の上をまっすぐいくか、山の手の下に降りるか聞く。上をまっすぐだと指示が返ってくる。

ずっととだえることなく街がつづいていて、「おおはし」あたりの高架は三層にもなっている、高速道路のターミナルが出来上がっている大都市を作り上げている。途絶えることのない大都市の連鎖が渋谷まで続いていた。


茗荷谷から池袋を歩く

2012-04-06 21:20:00 | ウォ-キング
茗荷谷で解散になった。
文京シビックセンターの25階からの展望はすばらしい。周辺の景色が丸見えでせまってくる。スカイツリーももちろん。西の方にシャンシャインの高層ビルが二つにょきにょきとみえる。前から解散になったら、池袋までの道程は地図でしらべていた。30分位でこの地区へ歩いていける。

以前山の手通りを歩いた時北池袋より、春日通をとおって大塚を通ったことがある。北品川からあるいて、大塚にて小町食堂で昼ごはんとなった。そのあと不知火通りへみんなは先にしゅっぱつしてしまった。少しご飯にてまどって、そのご護国寺に回って六本木へいくのをショートカットしたことがある。

今回茗荷谷から春日通を大塚3丁目から護国寺に回ることにした。
護国寺前の交番で池袋までの行き道を聞く。もちろん地図はもっている。情報の判断材料のかけらを得る。男性交番の方はいたけれども、一人の男性と長く話していた。

若い女性の警察官が懇切親切におしえてくれた。安心した説明であった。池袋まであるくのですか?ときかれて、道順を伝授していただく。15分くらいでつきますよ。実際は30分かかった。
護国寺西の信号を右に行く。坂を上る→左に雑司ヶ谷のお墓が見える。→ずっとまっすぐ行く→池袋東の駅(都電)→さらに池袋東(JR)→いつものみなれた池袋駅


荒川大橋にカモメの声

2011-12-09 21:44:07 | ウォ-キング
田端文士村のあと、旧古川庭園にいって、そのあと川口まで歩くことにした。10キロはあったかと思う。途中荒川の橋の上の街路灯の柱の天辺でいきなりギャーギャーと音がした。地震警報かと思った。見上げるとかもめであった。川はゆったりととてもきれいであった。昔のイメージの七色の川はなかった。

ルートについては前から調査していた。荒川を渡るのは岩槻街道で、荒川大橋をわたり、川口から京浜東北線の川口駅に行く。そこが鉄道に一番近づいていた。よしgoalはここだと予め決めていた。
赤羽駅までは、京浜東北線の西側にみちがある。東側の北本どうりからも行ける。それは王子から赤羽をつないでいた。

赤羽からいくら歩いても荒川がみえてこない。反対方向にだいぶすすんでいる。バス停の人に聞くと、反対ですよ。と一言言ってバスにのりこんでしまった。反対車線で、ローソンによって、荒川大橋をきくことにした。ついでにトイレもお借りして。歩き始めて1.5時間経過していたから。

志茂5丁目信号を右に行っていたんだね。行き交うバスの行き先が王子となったいるからおかしいと思い始めていた。引き返す途中派出所があったので尋ねる。荒川大橋はどちらにすすめばいけますか?この先22階マンションを右にいけばいいですよ。標識に岩淵とかいてあった。

赤羽はマンションがいくつもある。昔の部品工場は東北へ移って行って、マンションが次々とできていった。付近におおきなスーパーダイエーも建設途中であった。ますます人々がふえることでしょうね。


六本木から信濃町まで歩こう

2011-11-27 22:58:25 | ウォ-キング
増上寺で江戸の街をタイムスリップしたあとは、みなとく坂道を巡ってみようかな。雁木坂(がんぎざか)狸穴坂、鼠坂、鳥居坂などなどこのあたりにあります。その昔いくつかウォーキングでへとへとのゴールちかくで、登りましたね。なにしろ40キロくらい歩いてきた六本木がゴールでしたから。今日は増上寺から足のむくまま、気の向くままあるいてみました。

まずは増上寺よこにある芝公園で薔薇を見て歩きました。公園から都会のビルと増上寺がみえます。
  

弁天池にぬけて、桜田どうりを赤羽橋までいって、右折して六本木にでるか、それとも、桜田どうりを飯倉で左折して六本木にでるか。赤羽橋からだと、麻布十番からの鳥居坂が少しきついので。なじみのある飯倉経由にきめる。トウキョウタワーへの坂を上る。左に豆腐料理の有名な料亭があるのでその横の公園。ここに地図看板がたててある。

 

外苑東どうりを信濃町までいくことにした。ミッドタウンを通り抜けて、乃木坂にでる。乃木邸ですこし休憩する。


信濃町の道標がみえる。イチョウの街路樹が美しい。


信濃町駅につく。新宿のサザンテラスのシンボルのビル群が夕陽をうけている。



武蔵野十里のゼッケン

2011-04-01 21:36:50 | ウォ-キング
北浦和から40㎞のウォーキングで荒川沿いを歩いて、東松山までのイベントが中止になった。ホームページには二重線がひいてあった。友人が昨日グッズをもらいにいってきた。とメールがきていた。

ホームページをみたら、グッズを…とかいてあったので貰いにいくことにした。浦和駅から南浦和駅へ線路沿いにいくと、小さなアパートの1階にこじんまりとあった。どこか見逃していて、通りすがりのいぬの散歩のひとに聴いたらわざわざ連れて行ってくれた。「埼歩協」とドアに三文字かいてあった。見過ごしますね。

ゼッケンと簡単な絵地図だけがあった。大地震の大変な避難生活をしている方が毎日大変な思いをしている。途中近所の友人にあったら、クズハラのウォーキング大会申し込んでいて、中止になったといっていた。どこにあるの?ときいたら、フクシマといっていた。

東京テレポートから豊洲まで

2011-03-02 00:00:20 | ウォ-キング
りんかい線東京テレポートで解散になった。ので気紛れから東雲経由で中央区まで、歩こうと思った。運よく今日も相棒ができた。10分で撃沈する予測もあったようだが、調子よいようだ。テレポート駅のコンビニで東雲がどちらの方向かを聞いて歩き出す。以前新宿からずっと歩いて橋をいくつかわたって、国際展示場をこして、テレコムセンターの側の大江戸温泉物語の温泉まで歩いたことがあるので、土地勘はあるていど、もっている。

次にしばらくいって、おまわりさんが自転車ですれちがったので聞いてみる。このみちしばらくいくと、いきどまりになるので、もう一本向こうの道がいいですよ。少し進んで運河を渡る橋をわたる。これでお台場のある島から次の有明のある島にいけたことになる。一コマ進めたことになる。運がを渡るのはチリを知ってないと容易ではない。よかったと思った。

信号のところで、向こう側にわたる。歩行者をカウントしている3人の人が仕事を終えようと帰り仕度を初めていた。その内の一人が的確なアドバイスをしてくれた。まっすぐいって、晴海通りをいったほうがいいですよ。


春日通り453番線

2011-02-25 21:49:22 | ウォ-キング
新大橋通りと清澄通りの交差点にある大江戸線の森下駅で解散となった。
どうやって帰るか。みんなは新宿にいくひとー。大江戸線で新御徒町までと帰るルートはさまざまである。

オレは上野まで歩くことにした。地図は都心と上野のページは持参していた。いったんは駅校内にいっていきかけたが、結構長くて改札口に行く前に気がかわってしまった。いや、やはり歩こうと。それでまた地下鉄の入口出口に向かって戻る。さてどちらに行くべきか分からないけれどいってみよう。

「すみませんこれは明治どうりですか?」そこにこれから露天を開くべく、荷卸しをしている人に聞く。「違いますよ、新大橋どうりです。」で「はこちらは?」「清澄どうりです。」「明治通りはどちらになりますか?」「…」「両国はどちらのほうですか?」「向こうのほうです。」お礼をいって、でなんとなく、清澄通りのほうへいき、両国方面へ目当てにしてあるく。以外に10分ぐらいでついた。左に見慣れた国技館、江戸東京博物館がみえる。さらに目標を前にとる。

しばらくいくと春日通りにぶつかり左は本郷とでている。なんとなく上野にいくかんじがしてきた。そして、昭和通りへとぶるかり、新御徒町へとでた。大江戸線で帰った人はここでおりた、であろう。

友人の万歩計は2万歩をするしていた、距離は13.5キロである。知らない土地ではあるが、大変面白いこーすとなる。日曜に歩いた皇居から、中央通経由して、上野に言った道と点と線がつながった思いだ。