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玉川電氣鐵道砧線 (東急砧線)
玉川電気鉄道砧線 (東急砧線)
1、当時の路線・様子 2、各駅周辺の紹介 3、玉電の事故 4、二子玉川周辺にあった駅 5、写真コーナー 6、砧線の路線図 7、砧線が廃止に・・・ 8、クイズ 9、まとめ
1、当時の路線・様子
砧線は、砂利の採集のために、二子玉川~砧(砧本村)間を結ぶ鉄道として、玉川線につづいて大正13年3月1日に開通しました。砧線は、二子玉川園・中耕地・吉沢・大蔵・砧の五つの駅しかなく、全部で2・2kmの路線を、現在の東急バス06系統の砧本村行きに似たルートで走っていました。また、ラッシュ時以外はほとんど一両の単行運転で、同区間を往復していました。砧線の路線沿いには、商店街や、砧下(きぬたしも)浄水場、わかもと製薬の工場(現在は駒澤大学のグランド)などがありました。
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二子玉はなんかいか歩いたことはある。4年前は二子多摩川に集合して多摩川沿いを歩いて、丸子橋まで歩いて、中原街道を東京方面までいって、いつもの六本木まで歩いた。いったん歩き出すとさいご六本木まで乗り物には乗らない。
しかしこの静嘉堂文庫から帰るときの二子多摩川までいくのに、横道にはいったら、賑やかな商店街にぬけ、そこに砧鉄道が大正時代にあったことにふれた。今日はGETしたものがおおきい。
歩けば何かが表れる。史跡巡りでも解散の後は十人以上が静嘉堂文庫にまわって行った。、殆どの人がかえっていったけれど。人は生き物なんで、生き物に素材をぶつけて、何かをひきだせばいいなあと思っていた。
よく道知ってますね~とあとで言われたけれど、こっち行ってみようようと思って、リーダーにqueをだしたら、こっち方面だからいいよとokをもらってすすんでいたら、こんないい風景にであっただけだ。