印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

広小路という街

2012-12-06 12:18:25 | 9史会解散後の散歩道
10月に本郷3丁目に集合して、坂をを歩いた時、振袖火事と呼ばれた本妙寺もあった。
振袖火事はめいれきの大火事である。
明暦の大火については『むさしあぶみ』にしるされていると、月曜日に法務省を尋ねた折にgetした資料に書いてあった。法務省の中はなかなか一人では警戒が厳しくて入りにくい。赤レンガの明治の建物。

その時の大火が大都市江戸をほぼ壊滅してしまった。
衝撃を受けた幕府が防火対策をして、いろいろ事業をしたのです。その一つに火事除け地を作った。

それが上野、両国、浅草、等でそこに残る広小路はその際に設けられたのです。
広小路は江戸庶民の娯楽、社交のの場となった。
そこに焼き鳥屋、と洋酒バーがあって、となったようです。
江戸の雰囲気がしたはずですよ~。
なるほど~ですね。

奥の座席は貸し切りで面目躍如

2012-12-06 11:01:25 | 9史会解散後の散歩道
心とお腹を満たしてくれる絶品。焼き鳥料理の数々
串焼きのやきとりが時間を追って次々から出てくる。
最後に御結びが出てくる。

焼き鳥はたとえ焼いていても、焼き立てでないと味の鮮度が落ちてしまう。
特に鳥のささみ。長ネギが交互に差してあったのですが、「ささみは生ですが、嫌な方はいってください。焼き直しますから」と店主が向こうでいってだされた。でもささみの周りは焙ってあった。焙りでささみのうまみが引き立っているのでぜひ味わっていただきたいという一品。とでも言いたげな様子。

最初から最後まで鳥づくしのぜいたくな夕食。周りに気兼ねなく、食事を楽しんでいける、奥の座敷(板敷だけど)。ウナギの寝床のような長いカウンターを通り過ぎると数人入れる座敷がある。

この時間誰もほかのお客さんがよらないのが不思議なのですが、貸し切り状態だ。友人たちと水入らずのひとときを過ごすのにちょうどいい。美味と江戸情緒を堪能する贅沢な時間だ。奥の座席は貸し切りで彼は面目躍如となりました。

日本橋の裏通り

2012-12-05 16:14:14 | 9史会解散後の散歩道
「この辺行ったことある。文具の講習会があって」
クレヨン会社の自社ビルにいって、そしてそのあと、文具のバイヤーが日本橋のお店に連れて行ってくれた所だ。そういった。それには相槌をする余裕すらも持ちあわせてなかったようだ。みんなを案内するミッション追行の完結ができない。彼は汚名献上をいそいでいた。。

そして広い通りに出る一本手前の裏通りに吸い込まれるようにそこを右折するそこにそのくだんの昔の馴染みの焼鳥屋はそこに有る筈だった。有る筈の焼鳥屋がそこに無い。明らかにおかしいなという顔色をしていた。何の落ち度もない。正しい道を歩んできた。その歴史。怒り心頭にはっしる。溜飲をおさめることができないようだ。いや溜飲を下げることはできないようだ。

夜のとばりが降りようとしていた。外はそろそろ暗さを増していく頃、対照的に明るい店内に自転車とそのパーツが広げてあるのがガラス越しに見えるた。そこには都会の裏通りの生業の営みが息づいていた。自転車屋さんが営業していた。その隣に緑色のビニールを垂らしたところがどうやらそうらしい。目当ての焼き鳥屋さんなのか。やっているのかいないのか不明。今日は休みかな?などと独りゴチて、立ち去る。ついていたわれら散歩の野犬たちも一緒に立ち去る。角にファミリーマートが明るい光を照らしていた。みんなはもうへとへとでお腹がすき過ぎていた。

焼き鳥屋が閉まっているのか廃業しているのか知らぬ草の実が路地にこぼれあっていた。いきなり次の段取りは?さすがはみなさんそのムチャなルールに、あてて考えるまでもなく、すぐに上野の焼鳥屋に次なる矢は射られていた。名誉挽回。白羽の矢を立てる。唯一残ったプライドまで奪う必要はありません。すでに野犬どもはついていく羽目になっていたのである。

江戸流儀の焼鳥屋

2012-12-05 15:16:25 | 9史会解散後の散歩道
畳の部屋でその天井に、古いポスターが貼られていた。「伊豆の踊子」美空ひばり、石浜明主演。桜むつこさんなど。昭和20年代のものらしい。
その時代からこの焼き鳥店があったということなのでしょう。

熱燗をたのべば、かごに入れたおちょこがくる。大きさ色、形、まちまちで、お好きなものを選んで下さい。つぎに八海山をいらいすると、大吟醸だからと冷酒用の杯がかごにいれて、お好きなものをと。今度は江戸切子を合わせる。他にも、七色のガラスの杯などいろいろ。陶器の杯は片づけられる。またいる時はまたということで。

つぎに新潟の大吟醸久保田
細やかな、さり気無いおもてなしだ。居酒屋にはない忘れかけていた温もりがある。浅草と同じエリアだから、江戸の下町的な江戸流儀。

once upon a time

2012-12-04 11:59:19 | 9史会解散後の散歩道
上野、湯島、秋葉原……繁華街のネオンが途切れた静かな裏通りに建つ古いレンガの倉庫。
重い引き扉を開けて中へ入る。

焼き鳥屋の後に案内された店。倉の壁の上部に赤いネオン文字がついていた。once upon a time
自分が好きそうな感じの店だよ。

バーボン、それより強い50度のバーモンgoodyearなど。
earlytimes もメニューにあった。
自分達はオーナーリコメンドのグアバトニックのジュースっぽいのを頼んだ。
ここにあるのはウイスキーを中心に数十種類のお酒とおつまみ、軽食です。

1日の終わりに何となく1人で。と言う感じで40年の昔に来ていたという。その時の経営者は既に5年前に亡くなられて、いまはその方の奥様が経営されている。
食事は済んだけど、帰るにはまだ早い、話し足りないから。などなどそんな感じの人が5,6人店にいた。

2階に上る急な階段が入口付近にある。屋根裏っぽくて滑り落ちそう。
帰りはJR御徒町駅に近かった。

招き木札のある焼き肉店

2012-12-04 11:44:42 | 9史会解散後の散歩道
店に入るとカウンターが長ーくあり奥に板敷の部屋がある。バーのカウンターの後ろに木札がかかっている。黒門町○○、湯島○○、と30個ほどかかっている。

お店の主人が「招き木札というよ」と教えてくれる。
「みんなお贔屓さんがどこかから作成して、持ってくるから、ここに並べて飾っている。」と又教えてくれる。
「そこにある新しいのは2万円。上にある古いのは6000円。」
「ほんとー、上にもあるのですね」そう言われて、上を見上げると、また10個ほど招き札が掲げられていた。

古い代々から繋がっているお店。
秋田の地酒、雪中梅はきれていて、お酒の銘柄が色々ある。

焼き鳥が柔らかくて、ささみは中が生で周りが焼いている。生がいやでしたら、言ってください。といっていた。でもその生のささみの焼き鳥が美味しい。白ネギ、ハツ、ギンナン、レバー、等、順番にでてきて、食べ終わったころに焼き立ての次の焼き鳥がでてくる。

JR新日本橋駅

2012-12-04 11:33:15 | 9史会解散後の散歩道
それから、上野の焼き鳥屋が次のターゲットとなった。
以前そこに行く予定だったのが、その店がしまっていたようだ。

それでそこに行くのにへとへとだから直近の乗り場所は?

JR新日本橋の駅が通りにある。そこにどんどん入っていく人々がいる。ここから行こうよ。
「どこかでぶつかって乗り換えになるだろうけれど」そのどこかがわからない。
「新日本橋駅」は初めて聞くけれど、地図のどこにあるのだろう?
「昭和通」と「中央通」を繋ぐ「江戸通り」に「新日本橋駅」はある。

それで地下鉄で、「上野なら日比谷線?」「いや銀座線」
それでまた歩いて三越前から乗る。それから末広駅と上野広小路駅の中間にその焼き鳥やは位置している。

日本橋付近の焼き鳥屋

2012-12-04 11:14:34 | 9史会解散後の散歩道
焼き鳥屋は見つからない。八重洲口よりでて、犬の散歩のようについていく。
道を行くと「右手に鉄道見えるよね。」
「前に高速道路見えるよね。」
その下に川がある。その橋を渡るとき、「これ神田川?」
道をいくのに、それぞれ吟味するように問いかける。わからないならわからないと言えばいいのに。午前中持参の地図を見せて、大体どのあたり?ときいていた。聞いていた方向とは全く違う。

こんなに歩くのはおかしい。JR神田の駅が見えてくる。Sさんもいう。
「この道中央通に平行に来た道路でしょう。」
「そこに神田駅がみえるよ」
やっと「通り過ぎた」と一言いう。寡黙な人である。ミスに気付いた様子。

そこから警察通りを右折して神田駅を通り過ぎ、中央通まででないで右折する。ミスに気付いて、さらにさらに戻る。

真言宗密教の片鱗掌に受ける

2012-09-30 10:36:40 | 9史会解散後の散歩道
でいったん列を離れて、入口に仲間はいるか?いたら引きずり込もう。そういう魂胆が見え透いて働きかけている。。偶然一人見つけた。少し足が不自由なKさん。すぐに声をかける「ね、胎内巡り、おいでよ」ですぐにその人も、、引き込まれてきて、自分に託して靴を脱いで一緒に並ぶ。さてどういう作法かな???

観察に観察。「荷物を持って行ってください」お坊さんの声がする。
関東唯一の巨像である不動三尊が目の前にある。その方向へ列は続いていく。前の方たちはすでに不動明王の前になにやらさわってている?何しているのかな?まもなくお坊さんたちのいるエリアへ入っていく。お坊さんの数はオレンジの袈裟一人、紫の袈裟二人、緑の袈裟五人。

そのエリアに一歩入って所で一旦流れは立ち止まる。なぜならば、掌に何かを受けている。緑の袈裟の方が、左手を掴んで、香りの粉を一匙分擦るように掌におく。いい香りがする。みんなは違う手や頭に香をうつしている。俄か相棒は足が痛いので、そこにつけている。そうかー真言宗はこういう儀式があるらしい。なんとKさんの家は真言宗で、法事のとき、香を手にうけたことがあるという。俄か相棒はもう信頼できる特別な相棒となっていた。

これが初めて見た護摩修行だ。成田山と同じ毎日の行事だ。そう理解した。始めと終わりの時間配分は大体身についている。時間の進行は読めている。物事の判断にたいする、包容力、発進力、補佐緑。今までのような自分を押し出す力はおさえなければいけない。とあらためて教わった。


胎蔵界の儀式?これでエエンチャウ!

2012-09-29 20:08:46 | 9史会解散後の散歩道
やがて10分位して、「では胎内巡りをいたします。壁際より一列に並んでください」お坊さんが言っている。いーえ、もしかして胎蔵界にまいりますとでも言っていたのか?確実な言い回しは不明。どっちかな?選ぶことができない。じれったい。人の命を真面目に取り扱っているお坊さんだから、エエンチャウ!「えい!わしは信じる」

えつ!なになに、この地下に潜って、巡るのか?列ができはじめる。なんとなく聞いてもよさそうな雰囲気を持っている横の人に聞いてみる。聞いてもよさそうな間合いを持ち、相手にも、間合いをもたせて聞いてみる。「誰でもいいのですか?」「うーん、そうなんじゃないの?」みたいな。みんなあやふやな顔を並べて、並んでいる。まさに全く知らない儀式に加わりたい衝動が湧きあがる。し残したものがある気分だ。

なんとなく『きょんしー』のような列に、固唾をのんで加わっている。加わっていいものか?エエンチャウ!「エイッ!わしは信じる」。

オンバサラ ダトバン

2012-09-29 19:50:04 | 9史会解散後の散歩道
仏像では、胎蔵界と金剛界の大日如来があると真言とご利益に書いていた。よくわからないけれど護摩焚きの時胎蔵界に…といっていたのかしら? 胎蔵内とかってに解釈していたけど。
金剛界大日如来像は、智拳印が結ばれており、その真言はオンバサラ ダトバン
胎蔵界大日如来像は、法界定印を結んでおり、その真言は『ノウマク サンマンダ ボダナン アビラ ウンケン』

ここの大日如来の印はゴルフのクラブを握るような形に両手をあわせていた。
うーんなんだろう。
始めはお坊さんたち、『ノウマク サンマンダー…』といっていた。
護摩焚きのあとは『オンバサラ ダトバン… 』といっていた。


関西では信仰が深く、国宝級の大日如来像が数多くあり。
関東では奥の院にある場合が多いようです。(もちろん本尊のお寺もありますけど)
一昨年、武蔵野巡礼で33ヶ所回ったときは、殆ど何もわからずまわっていたけれど、それから少し分かるようにはなったとはいえ、ありえない大失敗の繰り返し。


大日如来

2012-09-29 12:35:21 | 9史会解散後の散歩道
高幡不動の不動堂では、不動明王があった。
大日如来は奥殿にあった。でもこれはケースの中に保存してあった。平安時代中期のもので、展示品てきであった。300円お金を払って見学するので、10人くらいしかいなかった。
本堂には50人ほどいたのに。

大日如来は仏の中で中心てきな気がする。どこかの寺ではすべて並べてあった。


大日如来は、全ての者を照らす仏様で、太陽の様な存在ですね。
密教の中心的存在であり、宇宙の根元とされます。高幡不動も密教と説明していた。

ちなみに、大日如来をご本尊とする方は、結構星がいいらしい。昨日会えたことはこれからの何日かを暖かくみてくれるかともよくお願いしてきた。。

大日如来様は、願いをなかなか言うことは聞いて貰えないというけれど、そのきっかけが始めると、最高の力を出してくれるようだ。いい旅になることでしょうか?大日如来の暖かい力によって、良い方向に進むと良いですね。

後ずさり写真は死に至る

2012-09-29 07:05:01 | 9史会解散後の散歩道
昨日朝立川駅で集まって話していた。
ハイキングぶちょうが10月の参加をきいてまわってきた。
IさんKさんは参加といっていた。だまっていたらMちゃんは?といってくれたので「えっいいの?いくー」と参加の意思表示をした。ここ最近調子悪くて。オートバイに左脚をぶつけられたのと、白馬の下山の軽いねん挫と今年3月の日光霧降でホテルで転倒して、前歯が折れたので。それ以来用心は慎重になり過ぎている。ハイキングは楽しいから誘ってくれたら行きたい。

ヨガの先生がいっていた。「打ち身捻挫は三年かかる」

でひとりNさんは行かないという。西沢渓谷で友人が滑落して死亡したという。写真を撮ってるうちに後ずさりして、崖からおちてしまった。から恐怖心で西沢渓谷には行けない。

それ以上聞けなくてランチのとき、その人の相棒さんに言ってみたら、去年だということらしい。登山クラブの仲間ということの様だ。三段の滝を映しているときだそうだ。

ハイキングは団体で行く時は、時間的余裕がないから写真はとらないほうがいいネ。

歓喜天像(かんぎてんぞう)

2012-09-28 19:09:01 | 9史会解散後の散歩道
歓喜天像を拝見してきました。そのことがとても感激でした。

略して『聖天』ともいうらしい。が日本独特の聖天さまとは違うらしい。
平安時代につくられた。男女二人がむかいあって顔は正面を向いていた。、日本最古であるという。鼻が短いけれど、象と言っていた。

奈良にこういうのあったような。

頭部が「象(ガネーシャ)」、男性神と女性神が抱き合ったお姿の仏さまで、素朴な美しさがありました。

印度からきたとも説明していました。印度のシバしんとも言っていた。印度ヒマラヤに行った時、運転手さんはミラーにシバシンのマスコットを掲げていた。

奥殿の参拝と拝観

2012-09-28 18:58:00 | 9史会解散後の散歩道
そのうしろに奥殿の拝観を案内されていたので、Kさんと見に行く。
300えんだったけれど、とてもよかった。13時40分から当山職員による案内説明が40分間ある。
これがまたとてもよかった。

途中でKさんの携帯がなって、先に出て行った。自分にも45分に携帯がなって、「皆あつまっている。どこにいるの!」と掛かってきた。残念だけれど、お辞儀をして辞した。本当に残念。