印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

第三の人生

2012-03-31 15:38:20 | 日記
戦後の日本をささえた人たちがそろそろ大量に林住期を迎える。
だけれども、AIJの問題、年金に影響してすんなり生きていけるか。


 団塊の世代が、国民の最大グループとして登場しようとしているときに。
 「林住期」に属する団塊の世代こそが、この国の文化と精神の成就の担い手になる。
働いている人は誰もがやがて60歳を迎える。
 「林住期」である。
 「林住期」という第三の人生を心ゆくまで生きるのが人間らしい生き方なのだから。

 日本人はまじめに考えすぎる。
 「林住期」に何かを始めるのは「必要」だから始めるのではない。
 始めるきっかけは、「必要」ではなく「興味」だ。

万が一のことを考える前に、解決の突破口を見つけることが必要である。



林住期

2012-03-31 15:14:37 | 日記
転倒してしばらく倒れたままでいた。その時みんなはどう思っていたか。
両腕を支えられて、ソファに座った時みんなの安心の息遣いを感じた。
黄泉の世界から戻ってきた感じだった。

そう臨終です。という言葉から林住と言う言葉を思い起こした。 空耳いや空目でなくて。

インドでは、「学生期」で学び、
       「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、
 
 人生のクライマックス「林住期」を迎える。

 
 家庭をつくり、子供を育て上げた後は、せめて好きな仕事をして生涯を終えたい。
 一度、リセットしてみたらどうであろうか。

 人生80年。最近はまわりにお元気な100歳のかたもおられる。

 「学生期」(がくしょうき) 0~24歳
 「家住期」(かじゅうき)  25~49歳
 「林住期」(りんじゅうき) 50~74歳
 「遊行期」(ゆぎょうき)  75~90歳

 人は生きるためにもエネルギーが必要だが、
 死ぬときもエネルギーが必要なのかもしれない。
今からは死ぬ時のためのエネルギーが必要なときかも知れない。

空目現象

2012-03-31 08:44:00 | 日記
ブログのタイトルはいつも13文字以内と決めている。
それは一段にしてないと探すときに切れ目がわからなくて、さがしつらいからだった。
でも13文字が一番日本人が一目で脳が理解する。

今日14会に王子までいく友人がいる。
川柳の仲間である。
14会とは7・7の会という。
面白そうなので今度聞いてみようと思っている。4月7日の花見のときにでも。



Yahoo!トピックスは13文字でつくられている。

 13文字の長さであれば、一瞬にして読みたい記事かそうでないかわかるという。

 ただ、一瞬で読み取るがうえに誤読が生じやすいという問題もある。
「トレイ」を「トイレ」とか、「相棒」を「泥棒」と読み違える現象を「空目(そらめ)現象」というそうだ。

 Yahoo!トピックスの編集者は見出しをつくるとき、読者が「空目現象」を起こさないように気を使っているという。
 
こういう思い込みは日常茶飯事。
かといって、俳句、短歌、の5・7・5  7・7 の昔からの世界が日本人を捉えているのも大変なことだと思っている。自分もその魅力にどっぷり嵌っているのだから。


あらたな動き

2012-03-21 13:09:26 | 日記
あしたの卒業式にでれるように元気になったかと電話があって。そのあとの親睦会にも。そちらはパスしていいですか?といったのだけれど、たべものは食べられますか?など。保留にするね。副班長からで、班長にもそう保留と報告しておきますね。と。とんでもない事故でまわりの動きが伝わってくる。

鐘がひとつなったら降りていこう
昼間の星がのぞく
齢へた漬物の香に膝をつくために
のこるがふのよかと

明日卒業式の後の懇親会にのこるかどうか迷っている。でてもいいんだけど、みんなが楽しいだろうか。一年間に馴染んできて親しくなってきた最後の日だから、感謝の意味で、時を一緒に楽しみたい。だっていれかわりたちかわりみんなから電話をもらったから。みんなも声を聴きたがっている。このグループは上品な香水の匂いはしない。漬物の匂いがする。一度こんな言葉ひっかかると、一気に中に入ってしまう。もうひとつのグループがもう既に破綻しているからやけに馴染んでしまっている。

門前仲町昼ブラ

2012-03-21 12:29:39 | 日記
金つばの秘密:刀のつばの模様がにている。切っている羊羹の切り口に皮をつけてあんこの部分をやいていた。
永代寺の近くの角
ありがたやとして名物お菓子をliveで紹介しながら歩いている。
蓮の花にくるんだ、深川飯。
正面に深川不動堂がある。おねがい不動尊がある。よこに250この梵字のたてものが本堂としてたてられている。2500年前という。
水につけて鐘を二つたたく。願よ届、ありがたスポット

12:20から12:43までの短い時間だけれど。林マヤさんと、アナウンサーが案内していた。あすは巣鴨をくわばたりえさん。そしてカーネーションの再放送がはじまった。奈津の役はだれかなと思ってみたら江波杏子さんだった。糸子は夏木マリさん。

少し前深川にて吟行を行う企画のメールがはいっていた。場所は深川界隈。句会は浅草のいつもの『なかむら』。詳細は24日の4土会にて。good timing でlive画像が流れている。

藤原定家の歌論

2012-03-20 18:13:07 | 俳句
 さて、私たちは、他の人の業績を利用してさらにそこに新しいものを付け加え、アレンジすることができる。それが単なる「盗用」になるのか、それとも「アレンジ」「翻案」「パロディ」になりえるのか、という分かれ目は、結局のところ「もとの作者への感謝と尊敬」の念を表現するか否かにあると思う。

 そして、日本人は古来、盗用にならないように上手に他人の業績を活用してきた。その代表例が「本歌取り」だ。今回は、鎌倉時代前期の有名な歌人・藤原定家の本歌取りについての論を現代語訳してみよう。

-上はby web--
藤原定家は本歌取りで有名だ。今の俳句は似たようなものが多く、川柳もそうだが類似句が多いい。

藤原定家の歌論「目に立たないように表現せよ」
日本の歌の伝統、着想は単純。深刻ぶった表現をしているのはどうもーみたいな。結局白装束とかめざしの目みたいな表現に、天がついてしまう。取り敢えず祖ういう流れがきている。単調な味がおこりえる。

鮮やかに感じる俳句

2012-03-20 17:33:08 | 俳句
昔40年前くらいだろうか、西東三鬼の句に新鮮さを感じてドキッとした。季語がない。たしか広島にいく列車のなかでとゆでたまごの殻をむいて口にガバッといれたような。当時の先生が教えてくれた。あまりにも主観性だけの単純な句にも見えた。自分には到底できない。

今の主宰とは真っ向から反対にみえる。客観的な描写がないから鮮やかにはかんじられないかとも。

そこできになるのが、その時代背景。個人的なんですけれど。三鬼は生物年齢1900-1961そのころ現代俳句が勢いがあった。戦後派による主観性の強調は、表現史のなかで必然的に生まれたのでしょう。

今のグループとは惑わされるくらい違っている。この「必然」が表現の「伝統」の強さとの競争になる。「必然」が「伝統」になっているかもしれないが。それをみるには前の結社の主宰はもう20年以上前に亡くなられている、後を受け継いだかたも当時おられたから、知っているけれど、今はどうなっているかは知らない。

図書館予約の本

2012-03-20 17:24:37 | 日記
ずいぶん前去年の暮れかもしれない、今年かも知れない、予約していた本が用意できましたメールがはいっていた。それで受け取りに行った。たしか130位予約がはいっていたけれど、図書館の人が7冊くらいありますから、3か月もしたら回ってきますよ、といっていた。それで予約していた。「フリーター家を買う」と言う本だ。続編は読んでいたけれど。

今日受け取りに行って、ついでに屋根裏プラハを探した。なかったから、機会で検索したらあったけれど、予約が19人とでていた。この本は中央図書館に1冊しか購入してないようだ。カウンターにいって予約した。20人になっていた。おそらくまたわすれたころで、5か月先だろう。

右膝にも激痛

2012-03-19 17:46:21 | 日記
帰り自転車に乗って帰りながら、見通しの悪い交差点は必ずおりて、右左を確認して、ゆっくりいく。「パチンコ寿」から坂を下りる。降り切ったところに大型スーパーの駐車場の出口があり、すぐに第2産業道路の交差点となる。スーパーの駐車場出口には大型冷凍車が道路を塞いではみでていた。いつもそうだ。左折して、本線にはいるのだが、立体交差点になっている。その先が信号が赤であるので、本線には車がじゅずつなぎであったので、本線に出られず並んでいた。この信号は直線、左折可が左車線。右折可が右側車線にある。時差でその後に信号が変わる。よく事故が起きている。殆どの車が右側車線にでたいので、軋轢が起きやすい。スーパーの並んでいる車からは、クラクションがなっている。

その車の後部から自転車をぬけていくと、そこに学生が5人横一列に並んでいた。思わず右足でブレーキをかけたが、膝に圧力が急激にくわわり、反対に反ってしまってこれまた激痛がはしる。

傘がおしゃかになるように、くの字のあしが反対にそってしまったようで、暫くは激痛がおさまるまで、てでなでる。

暫く歯無しが続きます

2012-03-19 16:56:20 | 日記
それから今日の治療となる。
明日は用事がありますか?えっ明日は祭日ですけれど。歯が必要ですか?歯は無くていいです。22日が卒業式ですけれど、皆事情知っているから、歯はなくてもいいです。写真撮るとき、唇をつむって、歯を見せないようにします。笑うと歯が見えるでしょう。

まあとにかく歯なしのほうが歯根膜の治りがいいとなれば、一時的な見栄えのための歯はがまんすることにした。それに歯もできてないでしょ。

折れた歯の歯根膜もいたんでいるので、そこに薬を注入する。傷をよくする抗生物質。次回土曜日。その時どうなるか。そのときから、治療する課題がみえてくるのであろうか。今週中にもう一日、金曜日でもいいけれど、16:00からでゆっくりできないからと、土曜日9:30になった次第だ。

歯根膜

2012-03-19 16:09:18 | medical
今日は歯医者にいってきた。
折れた歯と折れた歯の間の歯が歯ブラシするとき、何時ものように歯ブラシを動かしていて、当たってしまって、激痛がはしる。暫く激痛が治まるまで待つしかない。

右膝も痛い。階段を登るときはいい方の足を先に階段を一段登り、次に痛い方の足を引きずり寄せる。そして、2段目のstepを上る。降りるときは反対に、悪い脚から下に下ろす、それからいい方の足を一段下ろす。

歯医者にいって、いうと、挟んだ両脇の歯がおれたのだから、残った歯も間だから打撃は受けている。折れてなくても罅が入っているかも。

でも残った歯はとるわけはない。せっかく残ったのだから。歯は歯の納まる骨の中に納まるのに堅いものと固いものはくっつかない。そこに歯根膜がある。といってまた、説明絵図を見せてもらった。歯根膜が圧迫されている。だから歯が衝撃を受けると激痛が走る。

歯根膜は良くなる。1週間するとよくなる。事故は14日でしたね。今日は19日だから5日目になる。まだしばらくは触らない方がいい。折れた歯が痛くないのは、歯根膜は同じように傷ついているけれども、あたるものが無いから、痛くないし、その分治りも早い。

屋根裏プラハにたゆたう光

2012-03-19 00:12:32 | 日記
今日の朝日新聞読書にたゆたうと言う字が大見出しであったので、気になった。

いぜんからたゆたうという言葉がきになっていた。

でこれは、目の前にたゆたう光をカメラという器によって掬い上げるかのように、世界を見る。つまりはカメラマンが屋根裏プラハでの風景写真の本なのだけれど。「大切なことは電話でははなさない。手紙には書かない。酒場でははなさない」けれどうまいビールだけはあるという革命前の赤旗が翻るプラハや70年代のウィーン、そして震災後の日本まで、時間と場所が縦横に行ききしているらしい。

この写真にたゆたう光の風景を図書館で調べてみよう。

俳句と短歌、川柳

2012-03-18 23:33:47 | 日記
そうすると、俳句も短歌も同じような景色を詠むことになるであろうか。

現在の俳句と短歌の違いは、俳句のほうが様式はあたらしい。俳句を詠む人のほうが多い。短いから入りやすい。同じ作家が俳句と短歌も作るとなると、短歌のほうが古いとかんじるであろう。そういうことぐらいか。

短歌をしている知人もいる。その人は狂歌、と川柳、俳句もしている。江戸古地図の本をいつももちあるいている。

俳句だけのひとも、結社もいろいろほかのグループにはいっている。どういうわけか。
銀座句会の中の人も、川柳をしている人がいる。

川柳だけををしている人も、川柳マガジンに毎回10句投句しているという。6句ぐらいはのるようになったそうだ。もう一人の人は、NHKの川柳講座でも勉強しているときいている。という。今日そのようなメールが友人からきていた。ゆっくり楽しめばいいよ。

俳句の発生

2012-03-17 17:09:57 | 俳句
俳句の始まりは中世末から近世初めの室町時代。歌人や連歌師が存在するという。575と77との間に深い息継ぎ、区切りのある形が短歌の特徴である。主宰の最近の主宰誌に5人ほどで、連歌を楽しんで句がのっている。現代のスカイツリーなどが言葉としてはいっている。先生は連歌は長方形の紙の折り方で発句の位置とか、続きの7・7を書く位置など、書く位置のしきたりが決まっていると言われていた。

区切りという思い入れがなくなって、短歌の57577が575で終わろうと、77で終わろうと同じだと思われてくる。31文字が一呼吸で繋がる形になってしまった。これが和歌の壊れ始めとなるようだ。なぜ57577まで必要なのかが解らなくなる。これはもう短歌が壊れる段階となる。逆に俳句の初めも、どこで区切っても同じだとしか思えないような、のっぺらぼうな韻律になってしまっていただろうし。奇妙奇天烈にみえていただろう。

鎌倉時代の新古今和歌集などがそうであるようだ。専門家でないから、どこまでそうかわからないけれど、難解で区切れの深さが失われているようで、意味は複雑曖昧にもなり、難解でもあったようだ。今でもこんな難解な句を見ることがある。

さらに中世末になると、比喩関係が複雑さをまし、区切れ自体が曖昧になって、そうなると、短歌のように上句と、下句が必要な理由が何もなくなってしまう。このことが、連歌、俳諧が生まれた理由のようだ。そのあとに芭蕉さん、蕪村さんが俳句を確立させたのですね。やがて川柳もはじまって。