印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

エンドレスのおしゃべり

2013-08-24 11:54:31 | 日記
で自分にきく。
今度どこに行くの。そこに暮らしてみたら?
もう行かない。
どうして?
日本が一番いいことが分かったから、
日本が一番いいから、そうだね。

でコーラスに参加しないと決めたMさんはわざわざい、お昼したいね。といってくる。南浦和の文化センターの前のガスト。話題はすぐにうまる。この方とはお付き合いはずいぶん長いから。12年かな。前出のふたりとも12年のお付き合いだけれど、親しく話をする間柄ではなかった。

この蕨と南浦和の境のデニーズでのランチも向こうから誘われたのだけれど。ガストとか、デニーズは長くいて、ただ食事だけでなく、おしゃべり楽しめるからいい。おしゃべりは、テーマがあって、結論をだすものでないから。エンドレス。
ファミレスはエンドレスのおしゃべりが生まれるところ。

「国家・文明・民族とは何か」

2013-08-24 11:35:59 | 日記
友人の話をきいているうちに思っていたこと。ただ単に話を聞くだけでなく「国家・文明・民族とは何か」をたくさん考えさせられる。

こういうテーマでもって話が盛り上がってくると、帰る予定の人も、自分の飲み代のコーヒー220円をおいたまま、話を続ける。家は蕨高校の近くのマンションで、グアテマラ、コスタリカ、エルサルバドルなどで家族を連れて、奮闘してこられた人がリタイアされて、待っているから、帰らないといけないと言いながら、話を続けられる。

聞き役が、上手く引き出すと、その中の引き出しから、15年間の貴重なお話が層をなしているものが、虫干しをするように、一つ一つ頁が開けてくる。

やっぱり色々な悪戦苦闘をされている。いいとこどりの観光旅行でないから。

街道を行くバスク地方

2013-08-24 11:18:11 | 日記
自然と思い出した。脳に浮かんできた。街道を行くという旅番組がNHKであった。随分昔であったような。司馬遼太郎がそこに行っていた。フランス側から入って行って。

緑豊かな。平穏な人々が暮らしている、心豊かなそんな中世風な街だった。その時代からstopしているような温和な人々。

勿論司馬遼太郎さんは日本の街道もあちこちいってらした。
街道を行くはとても面白かった。音楽が大好きで、映像が綺麗で、司馬さんの眼を通して、一緒にその地方を見ていた。思索と紀行が一緒に体験できた。訪ね歩いた街道が72にのぼるという。

モデラートな暮らし

2013-08-24 11:04:52 | 日記
さらに創造を膨らませてもらえば、フランスとドイツの歴史的避けられない、領土の取り合いのような。チップス先生さようならみたいな最後の授業があったところとか。アルザスロレーヌ地方のような、絶えずどちらかの国の支配下にあったような。

今までの知っているだけの知識では埋まらないものがあるから、人と話していると、その人の実体験から、零れ落ちてくる話が面白い。

国境にある町は常にそこに暮らしている人々の思惑とはかけ離れた宇宙になってくる。
そこに住んでいる人々を追い払って、国策で遠いところから移住させてくることもあって、さらに人々は悲しくなってくる。

までもそこに住んでいて、どこの国になろうとも安心して暮らせるのが一番モデラートな暮らしかな。フランシスコ・デ・ザビエルの出身地バスク地方もそうであると以前聞いたことがある。バスク地方はスペインとフランスの間に位置しているが、人々はそこがどの国の領土となっても関係なく平和に暮らしていると聞いている。

※フランシスコ・デ・ザビエル( または , 1506年頃4月7日 - 1552年12月2日)は、スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本.(ヤフー辞書より)

シュットトガルトの博物館の甲冑

2013-08-24 10:39:50 | 日記
リヨンは小学校に入るまでに二種混合ワクチンを6回受けて証明書を出さないと、小学校に入れてくれない。独逸とフランスの境には大きな森があって、何度も戦争が繰り返されてきた。戦争の、屍骸がいくつも埋まっているから、細菌も多いという。だから破傷風にかかりやすいという。だから二種混合ワクチンの重要性があるという。

そういえば17年前になるだろうか。ドイツのミュンヘンから車で南西方面のシュトットガルトに回ってから、フランクフルトの知人の自宅に帰ったときの事。シュトットガルトはきれいな街で、路面電車が走っていた。大きな博物館があって、そこにぶらっとはいって、見学した。自由に使えるコンピューターもあって、したい放題に検索した。

夥しい数の甲冑がフロアに無造作に並べてあった。ただ出して未来の子供たちに見せているのかも。ケースに入っているのではない。同じ空間に存在していた。ローマ時代のフランクフルトに勢力を伸ばしたときのものと思って眺めていたのを記憶している。今にして思えば中世の甲冑だったのかな?

友人から森の話を聞いてから、甲冑と結びつけるのも唐突なことと思うけれど。結びつくだろう。黒い森というエリアがドイツにはあった。