印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

dictonまめができたあとも

2016-03-29 10:20:14 | 日記
、マメ・靴擦れの件ですが、出来てしまったマメ・靴擦れにも効果があります
重ねてお試しください

実はまめができたあと、もうびっくりぽんで
それで10年昔の対策はと
玄関のロッカーにdikconの使い残し

それをしっかり塗って
皮膚はいきしてるから、細胞膜より浸透して、効果を果たすだろうと勝手に思って
お風呂後に塗り捲った

弱冠次の日、スローモーションでみると縮んだかと
かってに、心ウキウキ
次の日もぬってたわけでありますが。

針で水ぶくれ潰した人からdictonすすめられて買っていてつかっていたのですね。その後しまったままで
そんな12年前のものつかっていて大丈夫なの?
とはおもいつつ

つぶす?つぶさない?足の水ぶくれの対処法

2016-03-29 09:41:19 | 日記
つぶす?つぶさない?足の水ぶくれの対処法はどれ?

さくらマーチの2日目、27日のコースマップの20キロメートル に
国昌寺 五斗蒔橋 見沼自然公園 井澤弥惣兵衛為永の写真ものっていましたので、
思い切って、27日の2日目コース 20キロを歩きました。

楽しみましたけどしっかり左足の親指に水の入った空豆の大きさの豆が勲章としてできてしまいました。
昨日は娘の所に用事でいったのですが、足の親指の右がくつにあたっては痛いだろうと思いしっかり毛糸の靴下で防御していきました。この靴下、ハバロフスクの市場でかったもので、ナイキのシューズにはいても、きつくなく、ふっくらとしたのは、それなりに薄くなってすぐれものでした。初めは安かろう悪かろうで一足しかかわなかったのですが、友人はわざわざ帰りのバスで、また貸し切りバスを停めてもらいさらに3足購入していました。この靴下すぐれものでしたね。さすがロシアの寒さの中で庶民が履くだけの価値のある代物でした。



3月27日の2日目に、見沼自然公園がのっていて、20キロ歩いて、勲章として左足の親指に空豆の大きさの水ぶくれのまめが勲章として残りました。

今日越智整形外科にいくか、水ぶくれの中に新しい皮膚が出来てくるのを待つか 焼いた針でさして、水を無理やり出して、早くぺしゃんこにするか
思案中。

昨日は国分寺から病院の荻窪に行くのに、毛糸の靴下で外反母趾のような水ぶくれを防御していったので、実証済み。
31日の見沼回廊写真撮影は毛糸の靴下でまあ何とかなるとはおもえるのですが。


笑い話ですが、3年.前は咲いたマーチ20キロ歩いたのですが、豆はできなかったのです。
それなりに老人になったのですね。

100キロ歩いたときは、それなりのケアは必要だったのですが。
寄る年波には勝てません。

なれない靴をはいたり、長時間歩いたりすると、水ぶくれができてしまいますね。 足に起きるトラブルのひとつが、水ぶくれです。
●基本的にはつぶさない。足裏は例外!

水ぶくれができたとき、皮膚科では基本的につぶさないようにと指導することが多いようです。というのも、水が自然と吸収されるのをまった方が傷もできず、衛生上もつぶさない方が清潔だからです。

結論が自分なりにできました。
潰さない 医者に行かないことに決めた。
きめたあとほっとしました。

ですが、足裏は例外です。歩いているうちにつぶれてしまい、そこから雑菌が入る可能性もあるので、先につぶしておくのがベストな対処法です。

グループで東京兜町あたりをウォーキングしているとき、大体100㌔に出るための練習で、その時は30キロ
仲間がまめがひどくて喫茶店に入って、木綿張りで潰していました。消毒液も持っていて。
サランラップとサージテープはもってなくて。絆創膏でしたけど。11年前くらいかな。

脱皮した芋虫

2016-03-24 15:02:08 | 日記
実は他の団体で3月10日に会計監査をうけた

3月10日にすべては出来上がっていなかった
でも決算表は出来上がらせることができていた。
かく部門の決算報告がメールでながれてきたので、
その残金や追加金を3月10日に通帳係に受領伝票を印刷して、下ろしてもらうことにしていた。
それで今年度の決算報告書を完成していた。

グループ分けが3つあって 2つはできてきて金額はこちらが渡した活動費とあっている
もう一つあって、SO係があわない。どうしても、そこで処理したく無いの一点張り。交渉しても聞き入れない係のひと。のむことにした。
宙に浮いた。
昨年11月の中ごろ、通帳係が勝手に出金している。僅か216円。
なんでー
何でいわないのー
と思ったけれど。
口に出して言えないもどかしさ。

寝ないで考えて、いろいろ事情があるから、去年道で倒れて、1ケ月入院して、その時に5万円ほど、
KI係に渡さないといけない。間に合わない。その人は遠くの方の人で、Nちゃんに相談して送金してもらって。
その費用にかかったのを引き落とししたようだけど、不明なのだ。言いにくかったのでしょう。
自分のパソコンで作り上げた帳簿と会わない。金額が変だとはおもったけれど。

もう一つKO係が予算案と違う金額で決算報告してきた。対予算でない。残金はぴったりあう。
何でーとおもったけれど
こちらも寝ないで考えた。

まあいいや 
自分の判断で対予算で決算報告書途中案を作り上げた。
部長に持って行って、部長が新旧理事会で全員分50人分近く印刷して、全員に配って、質疑応答
その洗礼うけたから、太鼓判もらったようなものだと思った。

その後に監査をうけるのもなんなのですが

頭はどれ、
信用したものとして、ハンコを監査人と自分のをおして
これはどうだとまとめて4月5日の最終監査にもってこい

何時も相談しているNちゃんにいわれた
会計をやって、一回りも二回りも大きくなるよ

なんかそんな気がする
脱皮したおおきな芋虫のように。
あわない金額処理については、寝ないで考えて、今度領収書なしで支払証明書に記入してもらうことにした。

もう采配するしかない。
これは雑費にいれるのは部長の承認えたし。部長が大らかな人でよかった。
Nちゃんから教わった。部長さんに振った方がいいよ。

決算報告書途中を印刷したのを、もう理事会に諮ったのだから、途中を外して、日にちも3月31日にして、完成させた。
もういじらない。
これが4月5日の午後からの総会資料として、みんなで印刷するときに、印刷することになる。

大変だった。
作る技術的なのが大変ではなくて、人との調整が大変だった。みなさんを信用して、やるのが一番だから。人が一番のざいさんだから。

会計監査

2016-03-24 13:45:21 | 日記
今日川柳の会計監査をうけた
去年春に新年度の会計を会長よりいわれて
会長も新任で引き継いで、この人の紹介で5年前にこのグループに入会したので、嫌だとも言えず引き受けていた。

今までの会計の方をを副会長に任命して、
会計をと
見習いでならですよ。と念を押して、引き受けた。
ということで。
見習いはこれからの人生の掛け合い的な面も生まれていく。
新しい縁が生まれていく。

この川柳の会は10年たった。年齢がだんだん上がってきて、
75歳の人は85歳になっている。90を超した人もいる。玉音放送を勤労奉仕で水戸街道でしていたひともいるから。、
それなりにやることが順送りになってきている。
出来る人がやらざるをえないと思う。

5年前に退任された人も、体力と年齢を理由に、他の人にひきつがれた。
とても川柳が好きで、北千住の柳の見返りのところにある、川柳の立札の事をはなしてくれた。悲しい駆け込みの女郎さんのはなし。何年か前の、文化祭で当番が一緒の時、川柳に嵌った理由をお聞きした。上手な人で、権威ある方ですが、
いつも文化祭でそのあとも、一緒の当番をしたときはたくさんの貴重な話しを教えてくださる。

学生の時、友人から、福島の自宅の温泉に呼ばれていったところ、そこが超有名な小説家。の家だったりして
ぎずぎずしてなくて、ふっくらと、教えてくれる。

で今日会計監査を
他の会で会計監査を受けるのが4月5日に控えている。こちらは84名の団体を受け持つ会計でもう、総会用決算報告書はできている。びくびくして待っているですが、問題点もあるのですが


会計監査はどういう仕事をされるのか気になっていた矢先の出来事で、出過ぎないようにして、謙虚に観察してみていた。

15人ほどの会ではあるけれど、自分のお金ではないので、監査をきちんと毎年しているようだ。今まで監査をしていた方は辞められたそうで、去年は残る任期が半分ほどだから、会長さんにお願いされたそうだ。気を使う。

繰越金のお金を数えた
銀行の通帳もあるので、その頁に印鑑をおした
決算報告書に印鑑を押した。 こちらは自分もおしたのですが。

お金のだし入りについて、説明を聞く
今年は交通費が入ってないのですが、去年は入っていて
それは、年間を作る際にいれているから、覚えといてと言われた。
など
緑の文藝の文章はあっていて、会長名にミスがあって、訂正した紙を貼っていた。
それを打つ人は、事務方のひとは、○○のひとで、
では自分の所属しているボランテイアの仕事のやり方と同じようなかんじだからとか、
などいろいろ想像がわく。それに5万円の補助金もあるらしくて。

雨が降っていたので、家まで送ってくれた。
人生の最後の舞台に人の繋がりが数人できた。

北向き地蔵が西宿のバス停にある。
この辺は昔は山林で小古里と呼ばれていたそうだ。そこは人が住めないところから、その名がついてきたけれど、徳川時代に人が住むようになっては大古里と名前が変わっていった。
そういう会にはいって、いるそうだ。

この辺、散歩すると、馬頭観音があるし、徳川時代から開けていて、赤山街道もあって、江戸から見沼に通船掘りからあげた生活物資が比較的平地が続く赤山街道をとおって、物資を運んでいた道筋と思っていたけど、
地元の方は自分たちの古い歴史をしっているんだなー