a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

collaboration

2007年02月18日 | 研究生活
 久しぶりの更新。前のエントリーで書いた論文は、なんとか息も絶え絶えに終えて(内容としては、胸をはれたものではないが)、現在は他の論文と、もう一つ、仏人の友人とのcollaborationに取り掛かっている。

 福沢諭吉に関するある文章を、仏訳するというもの。collaborationと言っても、仏訳だから、結局は彼女の文章になるのだが。ただ、なぜかわからないが、彼女の希望で仏語の表現に立ち入って議論している。私程度の仏語力で、なぜそんなことを要求してくるのだろうか? と不思議なのだが、こちらとしては非常に勉強になるので、お付き合い。

 実際のところ、これは指導教官からの頼まれた仕事のようで、何か発表しようというものではないのだが(教官から頼まれるという程度だから、彼女の書く仏語は、まあレベルが違います:というか、普通に仏で出版できるレベルの仏語がかけるということですが)、まあ、共同研究の方法を作り上げるものとしては、けっこう有益と思っている。と、それから、私のような仏語力の人間が、そうしたレベルの仏語を書ける人と、友人であり、共同に作業をできるというのは、言葉の意味どおりに「有難い」のだが。

 ただ、この彼女、上のような仏語を書けるだけに、メールなどの文章でも私が「的確な表現」をしない時は(要はこちらの意思を「ニュアンスを和らげた上で」的確に伝える表現をしない時などは)、かなり怒らせてしまう。
 この前は、あることがあって丁寧な表現をメールで使ったら、「友人としてこの冷たい言い方はない」と言われ(丁寧すぎる表現もまた、不適格な表現という好例)、かたや、その前には別のメールに関して、「この言い方は失礼だろ」と、言われる始末。ということで、彼女にはかなり「鍛えてもらっている」。

 でまあ、その「鍛えた成果」が、ここに来て役立ちつつあるというわけ。彼女がそれを意図して、これまで上のような接し方を私にしてきたのかは、不明だが。

 まあ、彼女自身、日本語の能力もかなりあるため、作業そのものは簡単なのだが、他方で、その彼女がうまく仏訳できない部分を、私が仏訳せねばならないことになり、それはまた、骨の折れる作業。

 ということを、日本語で書かねばならないもう一本の作業と平行してやっている。おそらくこのblogを読んでいる人の中には、私が上のような作業に手間をとられていることに、やきもきしている人もいると思われるが、論文の方も、それなりに準備はしているので心配なく。

 と、久しぶりの更新。

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