前回の話の続きを書く前に、先日の日曜に学会で報告をしてきた時の話を。
私自身の報告は、日本から世界に社会学を発信する際に、概念の相違をいかに考えるべきかを、仏語のsociété概念と、日本語の社会概念を比較検討することで、検討しようというもの。
ただ、後者の日本における社会概念の系譜は、私自身の力では追いきれるものではないので、飯田泰三の『批判的精神の航跡』における吉野作造の思想の経過を、「社会の発見」という視覚から検討している研究に依拠させていただいた。
吉野作造は、1920年に、それ以前の国家観から、国家と社会を混同すべきではなく、人々の共同生活を考える上では、国家ではなく社会の方が適していると主張しはじめる。
私自身はこれを、受け売りで言っていただけなのだが、同じ部会で発表をさせていただいた冨江先生が、ご自身の社会政策史の研究において、すでに、1920年代から社会概念が使われ始めることを主題としているという、話を聞いて、納得をした(と同時に、自分の不勉強を痛感した)。
それから、宮島先生からも質問を頂き、コントについて、大変勉強になるご教示を頂いた。経済学のマンチェスター学派への批判的立場をコントは取っており、そこからコントのsociété概念を考えるべきではないか、という教示であった。
ただ、最近の私は、コントを、やはりリベロー(liberaux)と考えていて、その辺は今後の課題だと思っている。
また、他に一緒に報告をさせていただいた先生方もいたのだが、それについてはまた別の機会に話を。
私自身の報告は、日本から世界に社会学を発信する際に、概念の相違をいかに考えるべきかを、仏語のsociété概念と、日本語の社会概念を比較検討することで、検討しようというもの。
ただ、後者の日本における社会概念の系譜は、私自身の力では追いきれるものではないので、飯田泰三の『批判的精神の航跡』における吉野作造の思想の経過を、「社会の発見」という視覚から検討している研究に依拠させていただいた。
![]() | 批判精神の航跡―近代日本精神史の一稜線 |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |
吉野作造は、1920年に、それ以前の国家観から、国家と社会を混同すべきではなく、人々の共同生活を考える上では、国家ではなく社会の方が適していると主張しはじめる。
私自身はこれを、受け売りで言っていただけなのだが、同じ部会で発表をさせていただいた冨江先生が、ご自身の社会政策史の研究において、すでに、1920年代から社会概念が使われ始めることを主題としているという、話を聞いて、納得をした(と同時に、自分の不勉強を痛感した)。
それから、宮島先生からも質問を頂き、コントについて、大変勉強になるご教示を頂いた。経済学のマンチェスター学派への批判的立場をコントは取っており、そこからコントのsociété概念を考えるべきではないか、という教示であった。
ただ、最近の私は、コントを、やはりリベロー(liberaux)と考えていて、その辺は今後の課題だと思っている。
また、他に一緒に報告をさせていただいた先生方もいたのだが、それについてはまた別の機会に話を。