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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

フーコーの装置とは何か?

2009年09月04日 | 読書
現在庫の本を読んでいる。イタリアの哲学者、アガンベンの仏訳本。

Qu'est-ce qu'un dispositif ?

 フーコーの装置概念を、その起源にさかのぼりつつ検討するという本。というよりは、小冊子なので論考と言うべきか。アガンベンはそれを、イポリット経由のヘーゲルにまでさかのぼりつつ、検討する。ただし、時期的にこの装置という概念がフーコーに出始めるのは70年代に入ってからであるが。

 私個人としては、アルチュセールを専門に研究している故に、70年代という日付から考えるなら、「装置」のconceptionは、むしろアルチュセールの有名な「国家のイデオロギー装置」から来ているのではないかと、思う。少なくともそのアイデアにおいては。

 ただし、フーコーの装置概念、原語はdispositifである。それに対して、アルチュセールの場合は、appareilである。私の個人的な感覚から言えば、dispositifの方が、より小さい装置で、 appareilの方が大きい感じだろうか。ちなみにこの本の表紙にはdispositifとして携帯電話のイラストが載っている。それに対して、appareilと一般に言った場合は、手で抱えるほどの大きさ、あるいは机の上に置いて操作するような大きさの装置を指すのではないかと思う。
 そんな「語感」から、フーコーとアルチュセールの概念の比較検討をこの場でしようというのではない。まあ、個人的にはなぜ、アガンベンがイポリット経由でヘーゲルまでさかのぼってこの概念を云々するのかにはきょうみがあるが(直接的な内容としては「実定性positivite」という概念にこだわりたいようだからだが)。

 ただし、私としては、アガンベンの問題意識からすると、外から、あるいは「斜めから」見た問題意識を持っている。それは、ブルデューがよく使う概念であるdispositionという概念と、このdispositifと関連づけることができるのではないか? という意識である。その内容については、次のエントリーで。


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