a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

『階級という言語』

2018年10月11日 | 読書
階級という言語 イングランド労働者階級の政治社会史 1832-1982年
クリエーター情報なし
刀水書房


 現在、ステッドマン・ジョーンズによる『階級という言語』を読んでいる。

 私の専門は社会学なのだが、この著作はイギリス労働史の重要な文献とされている。

 けれども、1985年に原著が出版されたこの著作は、現在の文脈からすると、ある種の修正・転換を必要とされている。そのことは、この翻訳の日本語版への序文と訳者による解題に詳しく説明されている。

 今度、ある研究会で自分の報告をするのだが、私の問題意識の背景を説明するためにこの著作を読んでいる(本当は、そんな目的のために読むような文献ではなく、もっと腰を据えて読むべき文献なのだが)。

 イギリス歴史学における階級概念には、「言語論的転換」と呼ばれる大きな変化があったのだが、それを主張したのがこの著作である。ただし、著者自身、その日本語への序文で認めているように、この立場から現在はさらに一歩進めた立場に立っている。で、私はその一歩進まねばならなかった必然性を説明したいのだが……。

 さらに、イギリス歴史学におけるこの「言語論的転換」には、アルチュセールの提起した「構造主義的マルクス主義」や「相対的に自律した諸審級」という考え方が大きく影響しているようである。

 私自身は、アルチュセールは、現代における「転換の必要性」を1960年代後半の著作からすでに見越していたと考えることができるという立場であり(この表現はちょっと言いすぎで、正確には、彼の議論は80年代に始まる新自由主義革命を先駆的に批判する内容を含んでいたと言った方が正確だが)、私がアルチュセールの議論において注目する点と、イギリス歴史学に影響を与えた側面とはけっこうずれているところもある。

 正確な報告のためには、このズレやねじれを説明する必要があると思うのだが、それをどこまで言及すべきか考えねばならない……。と、この著作を読みつつ思案するのだった。


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