a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

大学の試験と格差と……

2007年12月29日 | 研究生活
 今年もあとわずかだが、年が明ければすぐに試験が始まる。非常勤をさせていただいているある大学の講義で、今年は前期の試験の際に、ある特殊な試験方法を採用してみた(詳しくはこちら)。ただし、今回はこの方法をとらず、よくある通常の方法を採用。つまり、あらかじめ問題を複数公表しておき、それから一門選択をして解答するというもの――ちなみに、前期に試みた「特殊な方法」では、試験当日にこちらが指定した設問に解答させるという方法(この場合、学生はすべての設問への解答を用意せねばならなくなる)

 この「特殊な試験方法」は、それだけ取り出しただけでは、日本のシステムに必ずしも適合しないのかもと考えて今回は通常の方法に戻したのだが、上の「特殊な方法」を採用した学校とは別の学校で、「試験での設問の選択というのは、自分が選択して良いのか?」という質問が一人の学生から出たのだった。通常はそう考えると思うのだが、質問の意図を聞いてみると、上の「特殊な試験方法」を採用している先生がその学校にいるのだとか。

 同じような方法を採用している先生がいることを知り、驚いたのだった。まあ、私も留学の際に、あちらの学校で知った方法をアレンジしたものなので、別に同じような方法をとる先生がいても普通のことなのだが……。

 ただし、この方法は、「良い意味」でも「悪い意味」でも差がつく方法だということ、そして、実はこの「差」は「学生を落とすため」につけるものであることを、前期に試してみて知ったのだった。そして、自分が「格差拡大」に荷担しているような気になり、今回はこの方法を遠慮。
 というのも、この方法は、すべての講義に出席していることを前提としているが、しかし、バイトなどで必ずしもすべての講義に出ることができない学生がいた場合、これはものすごいハンデになる。無論、日本の学生の場合、現在のところはバイトは「自分が使うお金」を稼ぐものなのだろうが(このあたりは推測なのだが)、私が留学した際の周囲の学生の場合、バイトにしても仕事をしている学生はすべて生活費のために仕事をしていた。そして、上の方法は、こうした学生をまさに「狙い撃ち」することになる。
 日本はまだこうした段階にないのかもしれないが、教育費がこのまま高額で、なおかつ奨学金制度が貧弱で、さらには給与水準(平均水準)が漸進的に落ちてくる状況がこのまま続くなら、上のような状況に直面することもそれほど遠い未来ではないと思う。


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