a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

生産様式とは何か?:アルチュセール『再生産について』

2005年07月05日 | アルチュセール『再生産について』
 アルチュセールのイデオロギー論草稿『再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』平凡社の紹介、今回は第二章を紹介します。

 アルチュセールの「国家のイデオロギー装置」概念というのは、とりわけ文化研究の文脈に置いて多く援用されておりますが、この第二章は、そうした文脈とは異なった議論を展開しております。生産様式というのは、とりわけ伝統的マルクス主義に置いて中心的な概念ですが、まさにこの生産様式についての議論に、この第二章はあてられております。

 ここにおいて重要なのは、「国家のイデオロギー装置」概念が、マテリアルな要因とは無関係な「文化的領域」の自律性を主張せんがために提起された概念ではなく、人間の意識(イデオロギー)の問題を正に生産諸関係に関連づけるために提起されたことです。あるいは、さらに進んで言えば、そうした生産諸関係に携わる人々に対して、その従属性を証明するのではなく、むししろそうした人々の運動の攻撃対象、向かうべき先を指ししめさんがために、彼がこの概念を導入したことがわかります。まあ、こうした意見は、真新しいモノではなく、アルチュセールのこれまでの著作を綿密に読めば気付く点ではありますが。
 しかし、このように考えるのであれば、「文化論的視点」においてではなく、むしろ古典的な意味でのマルクス主義的視点に置いて、つまりは、年配の方々(笑)というか、かつての古典的な意味でのマルクスを読んできた方々に、この章は読んで欲しいと考えています。まあ、これはあくまで私自身の個人的見解ではありますが。

 さて、無論、この著作、そして第二章にも、「古典的マルクス主義」の視点ではなく、別の視点で接することも可能です(これは、現代思想に興味のある方にとって興味のひかれる視点だと思います)。

 というのも、これはビデの視点なのですが、アルチュセールが問題にしているのは他方で、「法の消滅」という問題(デリダ的問題?)なのだという。つまり、アルチュセールは、現存の生産様式が現存の法を維持、再生産しているという立場に立つが、それと同時に/そうであるからこそ、この現在の生産様式を変革することに主眼を置く。そしてこのことは、(現存の)「法の消滅」をも視野に入れることになるだろう、というのである。というのも、現存の法は、とりわけ個人の所有権を基本とする私法であり(そしてこれが現存の生産様式と共犯関係にある)、現存の生産様式の揚棄は、現存の法をその根本から消し去ることになるからである。この「法の消滅」という問題を、アルチュセールの議論はどのように展開出来るのか? それは、やはり法そのものだけを見るのではなく(というのも、法は消滅するのだから)、それを「支える」生産様式の問題としてとらえることで、初めて可能になるのだろうと思われる。すくなくとも、そうした可能性も、あり得るであろう。

 この視点を導入すると、デリダについても他の視点から接近出来るかもしれません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。