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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

『Lost in Translation』

2005年12月08日 | 映画
 ソフィア・コッポラ監督の『Lost in Translation』をDVDで見る。実は、Amazon.frで本を注文していたのだが、それと一緒にこの映画のDVDを注文していたから。よって、見たのは仏語バージョン。

 注文した本の方は、今回は前々回話をしたトゥレーヌとルノーのライシテに関する対談本と、エスタブレのもの。アルチュセールの弟子にあたる人間の中で、一番社会学らしい仕事をしているのは、このエスタブレなのだが、アルチュセールの国家のイデオロギー装置概念を一番分析の中で応用したのが彼とも言える。トゥレーヌについては、まだ斜め読み。ただ、彼が、文化的多様性を承認しつつ(するために)、スカーフ禁止法が重要だと主張しているくだりを見て、ショック(実は、ルノーがライシテ賛同で、トゥレーヌが反対しているのだろうと予想していた:でもどうやら逆のよう)。まあ、トゥレーヌがそう主張している方が、論文のネタには役立つので良いのだが。

 さて、映画の方だが、『真珠の耳飾りの少女』で好演を見せたスカーレット・ヨハンソンが主演だったので、この映画も見てみようと思ったわけだが、私個人としては、非常によい映画だと思った。この映画の存在を知ったのは粉川哲夫氏の批評によってなのだが、氏の批評にはおおむね同意(ということで、映画の紹介はそちらを)。氏の批評にあるとおり、前半部では始めて日本を訪れる外国人が感じるであろうカルチャーギャップが、ステレオタイプ的に描かれている。これを不快と捉えるナショナリストもいるだろう。実際、yahooの視聴者レビューで、この映画を低評価している感想では、そうした部分に嫌悪を感じるものが多かった。が、私個人としては、それほど気にはならなかった。実際のところ、その描写には、それほど悪意はないし、実際にあるであろう事を穏当に描写しているだけ。また、後半では、ヨハンソンが演じるシャルロットとビル・マレー演じるボブの淡い話が中心になるので、前半部は気にならない。

 この映画でもっとも印象深いのは、東京という大都市の中で感じる、孤独である。それが、ソフィア・コッポラによってうまく表現されている。ネオン輝くきらびやかな都市のなかで、しかし、そうした街との間に否応なく感じる距離感が、うまく映画の中で描かれている。海外在住の経験がある人には、これが強く感じられるだろう。

 前に見た『真珠の耳飾りの少女』同様、ヨハンソンが綺麗に映っていた。それは、派手に着飾った「きらびやか」な綺麗さではなく、ある種の影を抱えている人間が持つ美しさである。それは『真珠の……』でも同じなのだが、それとは違った綺麗さであったのが素晴らしかった。


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