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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

アルチュセールと国民国家批判:『情況』座談会

2005年08月23日 | アルチュセール『再生産について』
 アルチュセールの『再生産について?イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』の翻訳出版の際に行われた我々の座談会について、何回かに分けて紹介を。

 この紹介のために対談を読み直したのですが、座談会の中心的問題となっているのが国民国家論とアルチュセールの理論の関係になっていることを再確認。アルチュセールのこの「再生産について」は、基本的に、国民国家に批判的なインプリケーションを持っているのだが、しかしその点が不徹底である点を西川先生はとりわけ批判的である。
 しかし、この「国民国家批判」という視点は、とりわけ現在の仏の知的潮流においては、あまり顧みられていない視点である。というのも、仏の現実において現在問題となっているのは、移民第二世代が仏社会の中にどう統合するか? という問題であり、そうした問題設定からすると「国民」という枠組み自体を批判している国民国家論は、厄介な代物になってしまうからだ。
 まあ、こうした情況の背景としては、仏的共和主義の伝統があるのだが、この共和主義的伝統の中では、アルチュセールの議論は、私個人としては「良心的」な部類に入ると思われる。ただし、それだけでは不十分だと考えるのが、西川先生の視点。

 これに対して、仏に八年滞在していた大中氏は、仏的現実の切実さから、西川先生の批判に疑問を投げかける。とりわけ大中氏の視点は、彼の師匠であるバリバールの議論を反映しており、聞いていて仏社会の現実を知る上で参考になる。ただ、私個人は、西川先生とも、また大中氏とも異なった仏滞在の経験を持っており、両者の意見の両方が正当性を持つと考えている(と同時に、両者ともその限界があるのだが)。

 いずれにしても、この座談会、アルチュセールの批判としても非常に興味深い内容であり、アルチュセールが嫌いな人、あるいはアルチュセールに批判的な人にも、参考になる内容であろう。また、私個人としては、翻訳の作業を進める中で、西川先生がアルチュセールの翻訳に情熱を注いでた姿を知っているだけに、他方で、アルチュセールへのしっかりした批判的視点を持つことがわかり、「翻訳作業」というもののあるべき姿(現著者の内容を最大限尊重しつつ、他方でそれを鵜呑みにするのではないこと)を知った、非常に貴重な体験であった。

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